学校のアサガオに水をやっていたら、通りから柵越しに声をかけられた。
この学校の卒業生の方だという、80歳の女性である。
自分もかつて高校で教師をやっていたので、つい声をかけたくなったという。
たまたま出会った方だったが、面白い話がたくさん聞けた。
せっかくのご縁をいただいたので、備忘録も兼ねて、ご縁を生かすつもりでいくつかシェアする。
その女性が、高校で教師をしていた頃の話である。
教室に入ると、すごい剣幕で暴れている男子生徒がいたという。
ある教師に「お前はバカだ」といわれて激昂していたらしい。
そこで、担任であるその女性は、次のようなやりとりをした。
「あなたは人にバカと言われたらバカになるの?」
「・・・」
「じゃ、今私をブスって言ってみなさい。」
「言いたくない。」
「いいから言ってみなさい。」
「・・・ブス。」
「ブスになった?」
「ならねーよ!」
「じゃ、あなたもバカじゃないわ。
いい、他人に決められることじゃないの。
自分の尊厳は自分で守りなさい。」
リアルに金八先生である。
体当たり感が素敵である。
体が小さくても、迫力があるとはこういう状態である。
そして、あまり普通は思い付かない対応である。
話を聞いている内に、どうやらかなり哲学関係の勉強をしている方とわかった。
私は「あなた、マルクスの『自省録』読んだことある?」
と聞かれた。
「読んだことありますね。半分ぐらい・・・」
と答える私。
「きちんと読みなさい。何回読んでもいい本よ。」
とおすすめされた。
そう、たまたま、最近読んだような記憶があった。
帰って見てみると、私の「半年以内積ん読コーナー」に入っていて、何か「ぞわっ」とした。
ご縁である。
(という訳で、今は『自省録』熟読中である。)
「子どもは、勉強している先生を、本能的に見抜くのよ。
勉強して勉強して、子どものために、立派な先生になりなさい。」
と言って、爽やかに去っていかれた。
自分が、勉強する。
それが、子どものためになる。
そうなると、これはもはや職務上の責務でもある。
堂々と「勉強してます」といえるようになりたい。
2018年9月19日水曜日
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