公開研究会での赤坂真二先生からの学び。
そこからの気付き。
これからの時代を生き抜くための資質・能力とは。
子どもに何の力を育てるべきか。
問題解決集団に育てることであるという。
つまり、問題を自分たちの問題と捉えて動く集団である。
ここについて、自分が考えたことを述べる。
例えば、いわゆる「荒れた」学級では、ここができていない。
子どもは、自分の所属する学級がめちゃくちゃなことに問題は感じている。
しかし解決に動こうとしない、あるいはできないのである。
担任は解決に乗り出しているが、集団の助けがないため、力及ばずということになる。
つまり、ここに至る前までに手を打たないと、手遅れになるということである。
私は、子どもたちにしばしば次のようなことを伝える。
「けがをしていい。
次に大きなけがをしないよう工夫すること。
人のせいにしないこと。
なるべく自分で手当てすること。
無理なら助けます。」
「けんかしてもいい。
次にけんかをしない方法を考えること。
相手のせいにしないこと。
なるべく自分たちで話し合って解決すること。
無理なら助けます。」
日常生活で、こういった指導をしている先生は多いと思う。
一方で
「けがさせない」
「けんかさせない」
ことに力を使いすぎている実態もあるように思う。
問題を、すべて先生のものにしてしまっているのである。
これでは勿体ない。
トラブルを全て未然に防ぐ方法は、いうなれば
「温室栽培」
である。
蘭のような花には必要な手立てかもしれない。
しかしながら多くの子どもの人生は、大自然で生きるイメージである。
大自然は、美しいだけでなく危険も多い。
地震や今回の洪水のような、恐ろしい事態もあり得る。
生き抜くために何をすべきか、自分たちで力を合わせて考える必要が常に出る。
だから、助け合わないといけないのである。
一人では解決できないことが出る。
だから、いつでも人を助け、親切にするのである。
助けることを当たり前にしておく必要がある。
だから、いじめはだめなのである。
安全・安心面からも根本的にだめな行為だが、助け合う素地を著しく損なう。
日常的に問題解決集団にしておく。
そこの上に、クラス会議のような話し合い場面を設けて、その力を発揮する場でさらに鍛える。
クラス会議だけ一生懸命やっていてもうまくいかない時は、その素地ができているか見直す必要がある。
日常的問題解決集団にする。
先生が何もかもやってあげすぎないことが肝である。
2018年9月2日日曜日
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