8月7日の投稿で『「常識」は敵』という記事を書いた。
自分の中にある常識を疑うべし、という意味で書いた記事である。
これについては、他にもご意見をいただいた。
常識とは、なかなかに定義が難しいものである。
違う視点で、興味深い定義に当たったので紹介する。
『人間にとって成熟とは何か』幻冬舎新書 2013年 曽根綾子
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(引用開始)
常識というものは常に相手の存在を意識するところにある。
相手はどうでもいい、と思うから非常識が発生する。
(引用終了)
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なるほど、こう考えると、常識は必要である。
自分一人で生きていけるなら他人への配慮は必要ない。
しかし、そんなことができるはずはない。
こう考えると、一般的に言われる「常識」が絶対的なものではなく、文化的に規定されることがますますよくわかる。
つまりは、相手主体である。
文化の違う国の人相手には、非常識になってしまいやすい。
また、考え方があまりに違う相手にとっても、互いに非常識である。
世代間格差による非常識も、言わずもがなである。
そこに対し、この本の中では「偉大な常識」という言葉も登場する。
曰くそれは
「普遍的な人間性を表す基準的な何か」
であるという。
それは、心の中にもつものである。
普遍的な人間性。
これを考えるだけでも深い。
ここでは定義しない。
(少なくとも、1リットルのコーヒー牛乳をストローで飲むか云々、というレベルの話ではないことだけは間違いない。)
普遍的な人間性を表す基準をどう置くか。
私のような凡人にとって、高尚なことは難しい。
とりあえず、相手が嫌がることをしないとか、悪口を言わないとか、当たり前のことだけは守っていきたい。
2018年9月17日月曜日
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