公開研究会の特別活動部会「教育フェア」での学び。
参加者でグループを作り、「自治」をテーマに悩み等を話し合った。
その中で
「子どものやりたいことをどこまで許容するか」
という話題が上がった。
自治を目指す学級なら、当然子ども発のやりたいことは、やらせたい。
しかしそれが
「学校にDSを持ち込んで対戦していいですか」
なら、学校ルール的にも当然認められない。
「学校でお菓子を食べてもいいですか」
はそのままだとNG。
しかし、家庭科の学習の一環としてなら?
これは工夫次第で可能になる。
「好きなCDを持ち込んで休み時間に聴く」
ならどうか。
これも意見が分かれた。
実際、メジャーな歌はたくさん音楽の教科書にも盛り込まれている。
しかし、音楽というのは、趣味・嗜好の世界である。
しかも、教室という空間にCDで流すとなれば、そこに居る人間には嫌でも耳に入る。
クラシックならいいのか。
メジャーな優しい曲なら?
アニメソングは?
一気に振れて、デスメタルやヘビメタなら?
そもそも、文化という面では同じ漫画等と、同じような扱いにならないのはなぜか?
結局、担任や学校の裁量次第となる。
ただでさえ荒れている学校内で、一部の子どもの趣味の曲を平気でガンガン流されたら、周囲はたまらない。
では、「休み時間にダンスをしたい」
はどうか。
この場合、CDは必須になる。
実際、体育や運動会等では頻繁に用いている。
しかし、教室では静かに過ごしたい子どもも存在する。
つまりは、音楽を流す場合、公共の場であるクラスとしての合意(コンセンサス)が必要になる。
ここは、クラス会議の登場である。
参加したある先生の学級では
「レクとして飴探し競争をしたい」というのが出たという。
粉の中に顔を突っ込んで飴を探してくわえてリレーしていくという、芸能人がお正月番組とかによくやるあれである。
まあ、実にくだらない。
しかし逆に、このくだらなさぶりこそ、実際にやらせてみたくもなるのが担任魂である。
この先生は、必ず「企画書」を書かせるという。(私もそうである。)
「道具の準備と費用はどうするの」「小麦アレルギーはどうするの」「やりたくない子はどうするの」
とどんどん企画の不備を突っ込んでいく訳である。
子どもは、その課題をどんどん越えて、解決策を考えてくる。
そして後日、晴れて実施と相成ったという。
(みんな顔が真っ白だったらしい。)
やってることは馬鹿みたいだが、そこまでやる情熱は見上げたもので、ある意味知的である。
こういう子どもたちは、将来逞しく生き抜くことと思う。
色々話し合った結果、
「担任が壁になる」
というのが大切ではないかという結論にまとまった。
要は、自治的集団というのは、継続的に問題を解決し続ける集団である。
何かを実現したい時に、ただやりたいからやるのではなく、起こりうるあらゆる問題を想定し、乗り越えていく。
だから、担任は、子どもがやりたいと言ったことを無条件にOKするのではなく、壁になって立ちはだかる。
ここを引き返す程度の情熱ではダメということ。
乗り越えさせる。
壁も、最初は低く、鍛え上げてきたら、徐々に高くしていく。
そうやって、自治の力を育めるのではないかという話になった。
意識の高い人が集まっただけに、面白い話し合いになった。
参観者同士でAとBから新たなCを生み出す、という過程を体感できた教育フェアでの学びだった。
2018年9月15日土曜日
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