3月には、連続で学級開きについての講座を行った。
やり方や考え方を色々と伝えたが、大事なことを伝え忘れていた。
実は懇親会の席では話したことなので、ここに書いておく。
学級開きからずっと大切なこと。
それは、子どもへの「リスペクト」である。
これは、単に「尊敬する」というのとは違う。
「存在を認める」という方が近い。
無条件の肯定的感情である。
何度も伝えているが、子どもがいるから担任になれる。
子どもが親にしてくれるというのと同じである。
同時に、我が子を預けてくださる親へも感謝である。
親にとって子どもは文字通り「たからもの」である。
ここへは、できれば言葉で伝えた方がよい。
有名な実践にあるように
「大切な大切なお子さんを、確かにお預かりしました」
というような言葉できちんと伝える。
たまたま、先に生まれた自分が、「先生」の役をさせてもらっているだけである。
相手は、知識や技能といった面では現在未熟だが、今だけである。
どれだけ立派になって、社会に貢献する人になるかわからない。
「先生」なんて呼ばれて話をきいてくれるのは、今だけである。
数いる「先生」の中で、たまたま、自分に当たったのである。
そこに、管理職の方の責任で、配置してくれたのである。
多少なりとも、申し訳ない気持ちがある。
数々の人の支えのお陰で、偶然にも出会えた子どもたちである。
その喜びと感謝を、きちんと伝える。
マインドは表に出るので、上っ面ではいけない。
そう思って前に立たせていただく。
その思いは、雰囲気となって全身からにじみ出るものである。
何か、精神的な話なので、うまく伝えられないかもしれない。
目の前に起きていることの価値に気付くということである。
気付こうとしなければ、どんな素晴らしいことが起きていても感謝できない。
子どもに、そして周りの人々へのリスペクトの気持ちをもつ。
5月になると、人間関係にも「慣れ」が生じてくる。
4月の出会いの時に抱いた、新鮮な気持ちを大切に思い返していきたい。
2018年5月8日火曜日
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