前号の「気付く」が大切という話の続き。
いじめは、気付かないことが一番怖い。
低学年ならまだしも、高学年は気付かれないようにやるので尚更怖い。
しかし、周りの子どもには見えている。
見えているのに、これに「気付かない」集団になることが怖いのである。
「〇〇さんがいじめられているのは自然」
「△△さんがいじめるのはいつものこと」
という状態である。
かなり危ない。
いじめが起きないことに注力するよりも、いじめが起きた時に放置しない集団に育てることが重要である。
問題意識をもてる集団に育てることである。
そのためには「クラス会議」はうってつけの方法といえる。
「クラスの問題は自分自身の問題」と思うようになる。
アドラー心理学における「共同体感覚」であり、ここを育てることがクラス会議をやる真の目的である。
(ちなみに「課題の分離」とは別の話になる。
自分にはどうしようもないことをくよくよ悩むこととは別である。)
この「クラスをよくしよう」という意識は、やがて
「家族をよくしよう」
「部活をよくしよう」
「会社をよくしよう」
「社会をよくしよう」
というあらゆる集団帰属意識の強化と改善につながる
教育基本法に示された教育の目的にも完全に合致する。
クラス会議も日誌も、気付く子ども、集団でよりよく問題を解決しようとする子どもを育てるための手段である。
放っておいても、気付くようにも集団の問題を自分のものにしようともならないということである。
最終的に、この学級でどんな子どもを育てたいのか。
その目的意識を明確にして、数多の教育の手法の中から適切なものを選択したい。
2018年5月27日日曜日
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