ここ最近「平和」について書いてきた。
そこに関連して、宮沢賢治の次の言葉を残している。
「世界全体が幸福にならないうちは 個人の幸福はあり得ない」
個人の真の幸福を考えるなら、世界全体の幸福を考えないと成り立たないということである。
「世界」の解釈をどこまで広げるかで、誰にでも当てはまる法則となる。
学級経営をする際も、この考え方は基本である。
身近な誰かの抱える苦しみに共感できない以上、真に幸せなクラスにはなり得ない。
一人でも陰湿ないじめで苦しんでいる状態だと、学級の何もかもがうまくいかないのは周知の事実である。
一人を救うことが、結局全体を救うことにつながるというのが、学級経営の真理の一つである。
それは、周りのために、自分の財産や、命である時間の一部を提供することになる。
理不尽な要求や、労力を被ることへ「忍耐」する必要も出る。
「自分自身の幸せ」を全く度外視してまで実行するというのは、無理が生じる。
だから以前に紹介した「できる時に、できる人が、できることをする。」
という福島のボランティアセンターの精神は、現実的である。
今、世界情勢は逆の方向に動いている。
私利私欲のために、他の人々の幸福を犠牲にしようという動きである。
宮沢賢治の理想とする世界全体の幸福は、どんどん遠ざかるばかりである。
2017年8月30日水曜日
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