「自分に厳しい」というのは、一般的に良いことと捉えられている。
しかし、自分に厳しく他人に優しい、というのは、理想的だがなかなか難しい。
自分に厳しくしていると、どうしても他人が許せなくなってしまう。
わかりやすい例だと、授業。
一生懸命に用意をするのはいい。
しかし、こちらの努力に対し、子どもがノってくるかは、別問題である。
子どもの側からすれば、こちらの努力など、知ったことではない。
ノってくるかどうかは、それが単に子どもにとって面白いかどうかだけである。
努力するほど、往々にしてここを勘違いしてしまう。
努力量と成果は、すぐに直結するとは限らないというのが真実である。
努力が担保してくれるのは、自分が納得することまでである。
自分に厳しくしても、他人に厳しくしていい免罪符にはならないということである。
この時期、湿気と暑さがものすごい。
あまりに自分に厳しくしていると、疲れる。
急激な気温の変化は、体に負担をかける。
この時期、肉体的にも精神的にもだるいのは、あなたがだらしないので決してなく、正常なのである。
肉体が無理をしているのに精神で統御するのは、修行僧でもない限り難しい。
倒れたら元も子もない。
また、自分に厳しくしていると、往々にして他人にも厳しく接してしまうものである。
かの文豪ゲーテも
「人間の最大の罪は不機嫌である。」
と言っている。
疲れていてもいいが、不機嫌なのは、大罪なのである。
こういう時期は無理をせず、「そんなもんだ」とゆるゆる自分の機嫌をとってやっていきたい。
2017年8月10日木曜日
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