今回も上越教育大学教授の赤坂真二先生からの学びの続き。
連続で伝えるのは訳がある。
「自分が学んだことを周囲に還元すること」がこの合宿の約束だからである。
規範意識についての面白い調査がある。
ある刑務所で、囚人同士の喧嘩が絶えないということで、道徳向上プログラムが組まれた。
片方の群にはプログラムを施し、もう片方の群には何もしないという比較対照群での実験である。
結果は、全く効果なし。
その場でどんな良いことを学ぼうが、実際の行動には反映されないというのである。
別の調査で、荒れているクラスとそうでないクラスの規範意識を調べたという。
すると、どちらの群でも、有意な差が出ない。
クラスが荒れるかどうかは、本人たちの規範意識とは関係がないということになる。
では、何が違うのか。
ここが重要で、違うのは「他者の規範意識への認識」であるという。
簡単にいうと、荒れるクラスでは、自分はさておき「周りの人はきまりを守らない」と認識しているということである。
ちなみに、これは原田隆史先生の教師塾で教わる、学級調査の手法に似ていると思った。
「きまりを守っている」という項目に対し、4段階で回答するのだが、「自分」の欄と「クラスのみんな」の2つの欄が設けられている。
自分への評価とクラスへの評価がほぼ一致している子供は、状態が安定している。
自分が低くてクラスが高い場合、自尊感情が低いとみなす。
(「みんなに比べて私なんか・・・」という自分を責める状態。)
自分が高くてクラスが低い場合、他責、攻撃的であるとみなす。
(「私はいいけど、周りのみんなはダメ」という批判的な状態。)
どちらが個人の状態として危ないかというと、後者である。
前者は、色々な場面でその子供を認めていくことで何とかなる。
後者は、「わがまま」「俺様」「御子様」状態になっており、指導が入りにくいため、なかなか改善されない。
さて話を戻して、こういう調査結果が出た時には、鵜呑みにせずによく分析する必要がある。
これは「鶏が先か卵が先か」という話にもなる。
「荒れているから、周りの人がきまりを守らないと認識している」ともいえる。
逆にも読める。
つまり、本人はさておき、「周りがきまりをきちんと守る」と認識できれば、「クラスが落ち着く」という結果が得られる。
規範意識については個人に着目しすぎずに、集団として見る必要がある。
それでは、具体的にどうするか。
長くなったので次号に続く。
2017年2月2日木曜日
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