タイトルは、野口芳宏先生のご自宅玄関に飾ってあるという書の言葉。
ただし、私が耳で聞いた記憶による文字起こしなので、正確ではない。
気になる方は木更津技法研や教育者モラロジー等に参加して、ご自宅で確認をしていただきたい。
(ちなみに私は書を見ても、教養がないので、どちらにしても読めない。)
春の温かな日差しは高低関係なく平等に降り注ぐ。
花枝はそれに向かって自ら伸びる。
しかし、植物の側は光を浴びるべく伸びるものもあれば伸びないものもある。
大体そういった意味の言葉であるという。
同じ教育を施しても、受け取れる人と受け取れない人がいる。
それが事実である。
この言葉自体は「太陽」を称賛したものであって、光を受けようとしない枝を批判したものではない。
教える立場にある者がこの言葉に胡座をかいて、「受け取らない方が悪い」となっては本末転倒である。
そうではなく、これは学ぶ者の心構えとしてとりたい。
思えば、どんなにいい書物でも、人によってはつまらないという。
いや、紹介したのに見ようともしない人が過半数だろう。
我が身を振り返ってみても、「後で」と思ってすっかり忘れてしまったことは数え切れない。
もしかしたら、すごい宝物を損失したのかもしれない。
各種研修会やセミナーでも、素晴らしい話をしてくれている最中でも、寝る人は寝る。
面白いと思うかどうかは、結局受け手が8割なのである。
どんなにつまらないと思うような話でも、面白がって聞いてくれる人はいる。
私が、自分に誇れることが一つあるとすれば、師や友との出会いを生かしたことである。
私が今師と仰ぐ人や友人たち、彼らに出会った人の数は数え切れない。
その中で、私がその出会いを生かせたことは、大きな財産である。
私は先週、友人たちとサークルのイベントを開催した。
(正確には、私でなく他の仲間たちが奔走して無事開催されたのが事実ではあるが。)
このサークル(円)ができたのも、縁を生かした結果である。
陽光に感謝し、それを生かせる自分になりたい。
2017年2月17日金曜日
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