前号の続き。
「周りの人はきまりを守る」と認識するクラスにするにはどうするか。
超具体的に「通学路の信号を守る」ということに例を絞って考えてみる。
互いに「信号を守らない人が多い」という認識をしているとする。
この場合、前号の規範意識の法則によれば、どんどん守らない人が増えることが予想される。
普段の生活や道徳の授業で、「信号を守ることは命を守ることなので大切です」と言ったり書いたりしても、全く意味がない。
本音の伴わない「良い子ちゃん発言」は無意味である。(無意味だが、別に悪いことではない。)
素晴らしい言動があっても、その子供が急いでいる時に赤信号で渡ってしまうことは十分考えられる。
それなら「習い事があって急いでいる時に、つい渡っちゃうことがある」と言う方が本音である。
つまり前提として「自分も守れていない」という認識に立っての話し合いが必要である。
そのままだと、まさに「赤信号、みんなで渡れば怖くない」である。
どうすると抑制されるのか。
ずばり「周りの人が見ている」状況である。
本当は規則を破りたい気持ちがあるけど、互いに牽制し合っている状態である。
(この牽制心理が悪い方向にはたらいているのが、授業中、わかっているのに誰も手を挙げない状態である。
手を挙げて発言するのが、批判対象の「危険行為」と認識されている。)
集団で下校中に、30人が信号待ちをしている時に一人で無視して渡るのは、よっぽどである。
このレベルの子供は、個人的な問題が大きいので、集団の問題とは切り離しての個人的な指導が必要である。
よくある問題は、3人以上で一緒に渡ってしまうパターン。
これは、小学生だと、ギャングエイジのはじまる3年生や、気が大きくなっている6年生に多い。
ここを抑えるのは何か。
3年生なら、6年生からの注意である。
自分より上の立場の人からの叱責の力は強い。
きまりを破ることに対しては、注意や叱ることも大切である。
6年生なら、1年生はじめ下学年からの信頼感である。
「自分を信頼している1年生が見ている」ということを認識させる必要がある。
「1年生に交通ルールを教えてあげてね。」と、信頼して任せる。
縦割り活動やあいさつ運動などが有効に働くのも、信頼による責任感があってこそである。
「自分は信じられている」という感覚は、すべての行動改善に有効である。
要は、自分だけでは行動抑制できないので、他者の目が大切である。
そこに本人の道徳的規範意識は直接関係ない。
「周りの目を育てる」という意識が、クラスの荒れを防ぐ一助になるかもしれない。
2017年2月4日土曜日
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