実習生指導を通しての自省。
指導案通りの授業。
一見いいようだが、教える側の都合に沿った授業である。
実習生ならそれでも花丸である。
なぜなら実習生の指導案は、授業の見通しを持つことを目的としている。
つまりは、子どものためというより、授業者のためという側面の方が強い。
現場教員の指導案とは全く違うということである。
見通しなら、経験さえあれば誰でも持てる。
こういうことをしたらこうなるだろうと予測できる。
だから、実際の現場教員は、すべての授業において指導案を書く必要はない。
校内研究で書く指導案は、ただ見通しを持つために書くのではない。
研究仮説や研究テーマにどう近付く授業なのか。
それを文章を通して表現し、読み手に伝えなければならない。
自分のためというより、人に伝えるためという側面が強い。
また一方で、人に伝えるように書くというのは、自分の中での解を明確にする作業にもなる。
その解は、最終的に子どものためになることが望ましい。
しかしながら「こうするとうまくいかなかった」という失敗も成功への一つの解になる。
直接的に目の前の子どものためにはならないが、研究としての価値があることもある。
同じ指導案でも、その目的は何なのか意識して書きたい。
2016年11月6日日曜日
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