前号の続き。
教えるべきは教える。
まずは「言われたから守る」「先生が見ているからやる」から入るのも手である。
修学旅行での班別行動。
寺社の見学も楽しいが、お土産を買ったり、ご当地ものを食べたりするのも楽しみの一つである。
ここにも教育の余地がある。
放っておくと、「食べ歩き」や「不適切な買い物」をする。
(ここの「不適切」ラインについては今回は割愛。)
やはり、事前に一言ぴしりと言っておくことに意義がある。
ただでさえ人混みの狭い道の中を、ソフトクリームを持って集団で歩いてくる小学生がいたらどうか。
これは、できればすれ違いたくない。
しかし、集団になれば気持ちが大きくなり、そんなことに配慮できなくなる可能性がある。
この辺りへの配慮がきちんとした職員が一人でもいると助かる。
事前に一言、全体での指導をすれば、食べ歩きや不適切な買い物は激減する。
元々ルールを守ることに心地よさを感じる子どもたちであれば、集団圧力がいい方向に働く。
これを言わずに「自主性」で判断させようとすると、失敗する。
悪気はなくとも、楽しくて浮かれている状況では、そこまで頭が回らない。
指導されていれば、「そういえば」という自主規制の心が働く可能性が格段に高まる。
班別行動中、ほとんど「先生は見ていない」状況である。
しかし、「指導された事実」があるかないかで、行動は大きく変わる。
もちろん、変わらない子どももいるが、多くは何かしら感じるものである。
そのレベルの子どもにまで守らせたい場合は「先生が見ているからやる」レベルまで落とす必要がある。
(つまり、ぴったり張り付く必要が出る。)
そこまでやるかどうかは、それぞれの教育観である。
自由にやらせる教育もある。
それが、目的に適うならよい。
目的に照らし合わせて、言うべきは言う。
言わぬべきは言わない。
見るべきは見るし、見なくてよいものは見ない。
だから、目的によっては「言われたから守る」「先生が見ているからやる」で入れば良いと思う次第である。
2016年11月12日土曜日
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