電車の出来事。
子連れの母親集団が前に座っていた。
1歳ぐらいのベビーカーの乳幼児。
当然、30分もじっとしている訳がなく、騒ぎはじめる。
騒ぐのをやめてくれなくて焦る母親。
一方、周りは穏やかに見守っている。
お年寄りの団体の方々は、「元気が良くていいわねぇ」などとニコニコしながら話しかけている。
わりとよくある風景である。
この乳幼児が騒ぐことに対し、「我慢のきかないだらしない子どもだ」という見解は普通しない。
(むしろ、寝てもいないのにそんな長時間じっとしている方が怖い。)
母親に対し「しつけがなってない」とも思わない。
ただ、この同じ行為もある一定年齢以上になると、単にマナーの悪い迷惑な人になる。
では、どこからが境目か。
これがグレーである。
周囲の側。
先のお年寄りなどだと、その許容範囲が広めである。
一方、ストレス疲れしている大人の場合、許容範囲は狭くなる。
同じ「電車で騒ぐ」行為であっても、小学生以上なら完全にアウト。
幼児でもどう見られるか危ない。
要は、年齢も行為も、許容ラインは各々の主観である。
例えば、就学前の幼児は、「お話」を聞くときに椅子にじっと着席すべきか。
幼稚園や保育園の方針によって、全く異なる。
1歳児でも座らせるところがあると思えば、座席自体がないところもある。
1年生ならどうか。2年生なら。6年生、中学生なら?
さすがに6年生で座ってられないのはダメだろうか。
しかし、海外に行けば話は別である。(そもそも、学校によっては座席自体がないこともある。)
つまり、全部「常識」による主観である。
自分の持っている常識は、かなり疑わしい。
それは本当に必要か。
それをするのはなぜか。
「将来困る」というのは本当か。
「常識」はとりあえず脇に置いておく。
自分が価値を感じていること。
そこに本音と実感があること。
教える時、間違っていてもいいが、自分への嘘があってはいけないと思う次第である。
2016年11月14日月曜日
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