些細な場面からの気付き。
先日車を運転中、大きめの交差点の信号で停止していた。
こちらは右折したいが、対向車線の端にも一台停まっている。
この一台が直進後にいこうという流れである。
あちらは大きなキャンピングカーである。
停車中なのか駐車中なのかわからないぐらい、歩道側に寄せている。
大きいからなのか、癖なのかわからないが、とにかく歩道ぎりぎりに寄っている。
信号が赤から青に変わった。
しかし、対向車が動かない。
待ってても動かないので、こちらが先に右折しようと動き始めた。
すると、相手も動き始めた。
この場面である。
ごく些細なことだが、どう捉えるか。
こちらとしては、正直とまどった。
早く行って欲しいのに、動かないという状況。
こちらの瞬時の捉えとしては「ぼーっとしてて動かない」または「やはりキャンピングカーを駐車中」である。
もしかしたら、真実は「譲ってくれた」のかもしれない。
事前に合図を送ってくれていて、こちらが気付かなかっただけかもしれない。
ただ、事実として残るのは
「何か、迷わされて嫌な感じ」だけである。
真実とは別に、それが事実である。
何度も書くが、受け手がどうとるかが、相手にとってのすべての事実である。
善意でやったこと、一生懸命やったことが、相手にとってそう伝わるとは限らない。
いや、善意や一生懸命こそ、相手にとって迷惑ということすらある。
だから、相手に応じた伝え方というのは、非常に大切になる。
1学期、善意をベースに全力を尽くしたことと思う。
これは、どの職業であっても「前提」である。
教員採用試験に例えるなら「子どもが好き」ということと同じである。
これは大前提であり、アピールポイントにはならない。(通常、子どもが嫌いな人は教員採用試験を受けない。)
それよりも、相手にその善意、全力が「どう伝わったか」「どんな影響があったか」が大切である。
サービスの提供先に「作業効率が上がった」「儲かった」というような有形のメリットがあったか。
または「安心」「信頼」などの無形のメリットが与えられたか。
提供先は、企業なら、御客様や取引先。
教師なら、子どもである。
どう伝わり、どんな力がついたか。
どんな変化があったのか。
通知表を渡す場合、それが子どもにどう伝わるか。
通知表を見て「よくがんばった」と自信を持たせたり、「次こそは!」とやる気を発奮させたら、大成功である。
どんなことも、受け取る相手の解釈次第という視点を常に忘れずにいたい。
2016年9月9日金曜日
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