2016年9月9日金曜日

事実は受け手次第

些細な場面からの気付き。

先日車を運転中、大きめの交差点の信号で停止していた。
こちらは右折したいが、対向車線の端にも一台停まっている。
この一台が直進後にいこうという流れである。

あちらは大きなキャンピングカーである。
停車中なのか駐車中なのかわからないぐらい、歩道側に寄せている。
大きいからなのか、癖なのかわからないが、とにかく歩道ぎりぎりに寄っている。

信号が赤から青に変わった。
しかし、対向車が動かない。
待ってても動かないので、こちらが先に右折しようと動き始めた。
すると、相手も動き始めた。

この場面である。
ごく些細なことだが、どう捉えるか。
こちらとしては、正直とまどった。
早く行って欲しいのに、動かないという状況。
こちらの瞬時の捉えとしては「ぼーっとしてて動かない」または「やはりキャンピングカーを駐車中」である。

もしかしたら、真実は「譲ってくれた」のかもしれない。
事前に合図を送ってくれていて、こちらが気付かなかっただけかもしれない。

ただ、事実として残るのは
「何か、迷わされて嫌な感じ」だけである。
真実とは別に、それが事実である。

何度も書くが、受け手がどうとるかが、相手にとってのすべての事実である。

善意でやったこと、一生懸命やったことが、相手にとってそう伝わるとは限らない。
いや、善意や一生懸命こそ、相手にとって迷惑ということすらある。
だから、相手に応じた伝え方というのは、非常に大切になる。

1学期、善意をベースに全力を尽くしたことと思う。
これは、どの職業であっても「前提」である。
教員採用試験に例えるなら「子どもが好き」ということと同じである。
これは大前提であり、アピールポイントにはならない。(通常、子どもが嫌いな人は教員採用試験を受けない。)

それよりも、相手にその善意、全力が「どう伝わったか」「どんな影響があったか」が大切である。
サービスの提供先に「作業効率が上がった」「儲かった」というような有形のメリットがあったか。
または「安心」「信頼」などの無形のメリットが与えられたか。
提供先は、企業なら、御客様や取引先。
教師なら、子どもである。

どう伝わり、どんな力がついたか。
どんな変化があったのか。
通知表を渡す場合、それが子どもにどう伝わるか。
通知表を見て「よくがんばった」と自信を持たせたり、「次こそは!」とやる気を発奮させたら、大成功である。

どんなことも、受け取る相手の解釈次第という視点を常に忘れずにいたい。

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