アクティブ・ラーニングという言葉が新聞の紙面を賑わしている。
一ヶ月ほど前、アクティブ・ラーニングを全教科に導入することが明示された。
教育の世界だけで先行して広まっていた言葉が、これで一般化してくる。
授業参観での保護者の目にも「担任の先生の授業はアクティブ・ラーニングか」という視点が多く入るようになる。
今後、これに関する研修も増えるはずである。
しかし何でもそうだが、型にはまるのが怖い。
「これをやったらアクティブ・ラーニング」というものはない。
子どもが本当に主体的かつ協働的に学べているかである。
方法と理論は最低限学ぶ必要がある。
それ以上に、根底に流れる思想まで考えていないと、型にはまって応用が利かない。
例えるなら、台形の面積を公式で求められるが説明できないというのがその状態である。
「どのような経緯でその公式があるのか」「どんな歴史から生まれたものか」というところまでわかると、応用が利く。
「子どもがよく発言していた」「グループで活発に意見交換していた」というのは、あくまで現象。
内実は、子どもにどんな学びや気付き、思考の深まりがあったかである。
もっと長期的視点でいうと、今後の人生で役立つかどうかである。
アクティブ・ラーニングは生涯学習の視点からも重要視されている。
生涯を通して学び、主体性を持って広く他と協働できる国民を育てたいということである。
学び嫌いにしたり、ロボットみたいにいうことをきくだけの人間、身勝手で協働できない人間を育てられたら困るということである。
流行としての社会の要請にはしっかり答えつつ、不易の本質の部分は見失わないようにしたい。
2016年9月21日水曜日
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