1月ほど前の新聞記事からの雑感。
学習指導要領改訂について。
「日本のこれまでの教育は詰め込み型だった」。
「一方的な講義形式の授業からの脱却」。
「アクティブ・ラーニングへの転換」。
現職教員の中には、これらの言葉に違和感を覚える人も多いのではないかと思う。
授業で、子どもに詰め込んでいるだろうか。
授業中、子どもの声など聞かない、交流などさせないで、一方的に喋りまくっているだろうか。
「言うことをきけばいい。考える必要なんてない。」と言っているだろうか。
どちらかというと、そもそも聞かない、入らないというのが悩みである。
現在の学習指導要領の内容を授業で扱う時、詰め込むほどの大量の内容でもない。
(まあ、ちょっと内容が多いかなと思う学年もある。)
ある程度詰め込む必要性が出るのは、例えば受験をするような場面である。
仮に難関中学を受験をするとなれば、学習指導要領の内容をクリアしただけでは足らないだろう。
求められる力が違う。
一定の時間内に、能率良く答える必要が出る。
それには、どうしても繰り返しの訓練が必要である。
手順の省略化が必要である。
ここは否定できない。
しかし、少なくとも現行の小学校での指導方法のスタンダードは、詰め込み型ではない。
どちらかというと、自由にやらせすぎて、うまく力がつかないという悩みである。
ではこの通達と現場感覚とのズレは何か。
伝わり方の時差もあるが、それ以上に「問題点を問題」とするからである。
問題なくやれているところには着目されない。
クラスで、手のかかる子どもに目がいってしまうのと同じである。
学級だと、きちんとやっている子どもを認めてあげないと反乱が起きるが、この場合は起きない。
これは仕方がない。
ただ、それが世間一般の方々に、現在の学校の姿だと思われるのも困る。
情報は、あくまで「情の入った報せ」。
このことに限らず、氾濫する情報を鵜呑みにせず、現物を見て自分で判断する必要があると感じた。
2016年9月19日月曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
-
前号の続き。 教師にとっては、結構知っておくべき「大切」な事ではないかと思う。 (そして、教師以外の人々には本当にどーでもいい話題であるかもしれない。) 例の如く野口芳宏先生よりずばり。 「課題」は出されたもの。 「問題」は感じたもの。 つまり、教師から与えたものが「学習課題」。...
0 件のコメント:
コメントを投稿