2016年9月19日月曜日

詰め込み教育からの脱却?

1月ほど前の新聞記事からの雑感。

学習指導要領改訂について。
「日本のこれまでの教育は詰め込み型だった」。
「一方的な講義形式の授業からの脱却」。
「アクティブ・ラーニングへの転換」。
現職教員の中には、これらの言葉に違和感を覚える人も多いのではないかと思う。

授業で、子どもに詰め込んでいるだろうか。
授業中、子どもの声など聞かない、交流などさせないで、一方的に喋りまくっているだろうか。
「言うことをきけばいい。考える必要なんてない。」と言っているだろうか。

どちらかというと、そもそも聞かない、入らないというのが悩みである。
現在の学習指導要領の内容を授業で扱う時、詰め込むほどの大量の内容でもない。
(まあ、ちょっと内容が多いかなと思う学年もある。)

ある程度詰め込む必要性が出るのは、例えば受験をするような場面である。
仮に難関中学を受験をするとなれば、学習指導要領の内容をクリアしただけでは足らないだろう。
求められる力が違う。
一定の時間内に、能率良く答える必要が出る。
それには、どうしても繰り返しの訓練が必要である。
手順の省略化が必要である。
ここは否定できない。

しかし、少なくとも現行の小学校での指導方法のスタンダードは、詰め込み型ではない。
どちらかというと、自由にやらせすぎて、うまく力がつかないという悩みである。

ではこの通達と現場感覚とのズレは何か。
伝わり方の時差もあるが、それ以上に「問題点を問題」とするからである。
問題なくやれているところには着目されない。
クラスで、手のかかる子どもに目がいってしまうのと同じである。
学級だと、きちんとやっている子どもを認めてあげないと反乱が起きるが、この場合は起きない。
これは仕方がない。
ただ、それが世間一般の方々に、現在の学校の姿だと思われるのも困る。

情報は、あくまで「情の入った報せ」。
このことに限らず、氾濫する情報を鵜呑みにせず、現物を見て自分で判断する必要があると感じた。

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