全国の様々な道徳の研究団体が集まる会に出席する機会をいただいた。
そこでの気付きのシェア。
一つ一つの実践報告に対し、様々な意見が出された。
色々な団体が参加しているため、真逆の意見も出る。
助言者がAと言ったのに対し、BやCの方がいいと意見が出る。
実践報告者の方がどれを次回以降取り入れるかは、わからない。
ただ、異なる意見の中にも、共通項は見出だせる。
今回に関して言えば、はっきりとした共通項は
「答えの分かりきった気持ちをきいて、それをこれからこうしますと書いたり言わせたりするのはやめましょう。」
ということだった。
具体例を挙げると、資料を読んで気持ちをきいて、
「仲間はずれはよくないと思いました。私もしないようにします。」
というようにまとめていくことである。
仲間はずれはよくないなんて、小学生なら一年生でも知っていることである。
それでもしてしまうことをどう捉え、考えるか。
そこを掘り下げないと、授業の意味がない。
子どもは、道徳の読み物資料の価値については、わかっている。
先生がどう答えて欲しいか知っている。
だからこそ、そこをなぞっても意味がない。
意味がないどころが、害悪ですらある。
授業を当てっこと捉え、顔色をうかがう子どもを育てることになる。
正解を言うことに価値を見いだす子どもになる。
間違いや異質の意見の排除。
そんなことなら、やらない方がましである。
今回の道徳研究会にしたって、異質な意見があるからこそ面白い。
そこから、真剣に価値を見出だしていくから学びが深まる訳である。
では、具体的にどんなアイデアがあるのか。
次号以降、支障のない範囲で紹介していく。
2015年12月8日火曜日
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