メルマガ上で、苦手克服のために、指導者は待つことが大切と書いた。
本人にとっての、苦手克服の重要ステップ。
それは、攻めることである。
一念発起して、苦手や面倒なこと、避けたいことに突っ込んでみることである。
例えば、この時期ならスノーボード。
雪山に行って斜面を滑り降りるというのは、運動が苦手な人にとっては、かなり難儀なことである。
痛いだけでもやる気が失せるに、「寒さ」が加わるとより一層である。
それでもやろうと思うのは、誘われるからである。
誘われたから断り切れず渋々ついていって、大好きになったという例も多い。
実際やってみると、やや前のめりに攻めた方がボードコントロールしやすい。
怖がって後ろに重心をかけるほど、逆にスピードが出て益々怖い。
食べ物も同様。
苦手だと思い込んで食べない「食わず嫌い」のこともある。
ずっと以前に食べてダメだったとか、イメージで嫌っていることも多い。
すべてのものは「ピン-キリ」なのだが、最初に大ハズレを引くと、リトライする気が失せるものである。
しかし、いいものを引けば、一気にファンになることもある。
「ものすごく体にいい」というように知識面がつくことで食べられるようになることもある。
(逆に、大好きだったのに体に悪いということで嫌いになることもある。)
前向きに食べようとすることで、その良さが味わえることも多い。
「コンフォートゾーン」という考え方がある。
ずっと以前、脳科学者で有名な茂木健一郎氏の著書で知った概念である。
何かというと、人間は自分にとっての「快適ゾーン」がある。
変化もないが安全なその「コンフォートゾーン」から出たがらないということである。
習慣の罠ともいえる。
そして大抵、面白いこと、ワクワクすることは、ゾーンの外にあるという。
ゾーンの外に出れば困難が待っているかもしれないが、克服すれば大成長できる可能性を秘めている。
痛み等の恐怖以上に、成長や変化などへの期待が上回ると、コンフォートゾーンを出られるという話である。
進化論はそのわかりやすい例である。
一念発起した(と当事者が自覚しているか否かは定かではないが)魚たちが陸に出たことである。
安全な木の上にいた猿が、危険な陸に降り立つのは、相当な勇気と好奇心である。
人間は、それを意識的にできる能力があるからこそ、宇宙にだって飛び立てる。
空を飛ぶとか月に行くとか、周りから見たら相当な無茶・無謀を克服した人達がいることが事実である。
「挑戦」は無理・無茶・無謀・困難・失敗・成功・・・全てを包含し、凌駕する。
やってみなくちゃわからないのが挑戦の価値である。
ただ、実際はやる気がなかなか起きないのが事実。
大事なコツ。
その予定をずっと先に入れてしまうことである。
実行まで猶予のある、1ヶ月以上先の予定がいい。
1年先ならもっといい。
先に入っていれば、とりあえず何とかする。
どうしても何とかならないなら、その予定はなくなるだけである。
とりあえず手帳を開いて、空いている内に予定を入れることである。
旅行と同じである。
大体、やる気は生もの。
一瞬しか起きない。
三日も四日も続くものではない。
その一瞬がチャンス。
やるかやらぬか迷う暇があれば、先に動く。
理由や方法などすべて後付けで何とかなる。
特に休みはチャンスである。
平日の(いつでも)忙しい時に、プラスワンのチャレンジ精神はなかなか湧かない。
ちなみに、各種セミナー等に参加する時、うまい方法を求めるかもしれないが、一番受け取れるのはやる気である。
そして、一回受け取ったら、すぐに使う。
やる気を受け取ったのだから、やることが一番の有効活用である。
だから学んでも実践しないと、百万回セミナーに出ても徒労に終わる。
頻度としては、人によるが、私は月1回程度がいいのではないかと思う。
学んだことを実際にやってみて、1ヶ月経ってまた学ぶ。
再度やる気をもらって、実践してみる。
この繰り返しである。
毎週セミナーに出てもいいのだが、あまり多いと消化不良になりがちである。
たくさん色んな種類のご馳走を一気に食べようとするのと同じである。
一気にたくさん食べても限界量があるし、翌日にはまたお腹が減る。
食いだめも寝だめもできない。
定期的に行うことが大切である。
2016年、自分を変えたいと思うなら、2015年の内に予定を入れてみること。
今度とお化けは見たことがないので、まずは今、一つ予定を入れてみることをおすすめする。
2015年12月25日金曜日
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