助けて力。
学級で大切にしている力の一つである。
その名の通り周りに「助けて!」と言える力である。
私が勝手に名付けた。
今ネットで調べたが、直接この用語を使っている人はいないようなので、ひとまずオリジナル用語と言える。
何だか頼りない能力のようだが、重要である。
ちなみに、健康な赤ん坊は、この力がある。
赤ん坊は、困れば泣く。
助けを求める。
自分でできないからである。
助けてもらえないと命に関わるから、文字通り必死で泣く。
つまり、生来備わっている能力である。
一方で、段々失われる能力ともいえる。
どのような過程で失われるのか。
2歳半ぐらいで「ジブンで期」が来る。
何でも自分でやりたがる。
発達の証である。
しかし、この時期は助けてもらわないと自分ではすべてできない。
それを学ぶ時期でもある。
さらに大きくなるにつれて、「できないことはダメ」という認識を持ち始める。
周囲の目を気にし出す。
そうなると、助けてと言えなくなる。
助けて力の衰退期である。
ここを救うには、本人の意思もあるが、周りの力も大切である。
学級において、「助けて力」を強くするには、学級の「助ける力」を強めることである。
つまり、助ける方を先にすれば、助けてと言いやすくなる。
単純な話である。
具体的には、得意の提供。
得意分野で人を助け、不得意分野で人に助けてもらえばいい。
先に助けてもらった人は、後で返せばいい。
単純な話である。
ところで、先の赤ん坊の例でも、泣かなくする方法があるらしい。
それは、泣いても無視すること。
赤ん坊に対して、無関心を通すこと。
泣く度に無視したり攻撃したりを続ければ、やがて諦めて泣かなくなる。
その内、助けてもらおうという欲求すら起きなくなる。
生きる力が失われていく。
学級でこの「無関心」状態を作らないこと。
困っている人を見つけても見ぬ振りをするようであれば、自分も助けてと言えなくなる。
みんながみんな困る状態になる。
困っている時に助けてと言う。
周りは「助けるよ!」と動く。
必然的に「ありがとう」も増える。
助けて力と助ける力は、学級における二つで一つの力である。
2015年12月27日日曜日
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