2015年12月15日火曜日

「楽しい」の内実を問う

先日の道徳の研究会でも、校内の授業研でも似たことが話題になった。
それが子どもの「楽しい」ということについてである。
中身が問われる。

例えば道徳の研究会で、次のようなことが講師の先生から出た。
道徳の授業に対して、高学年ほど「面白くない」と答えるという調査結果がある。
ここを真に受けて、「学年が上がるにつれてやり方を変えよう」ということになるが、そうではない。
低学年と高学年では「楽しい」の内実が違うということ。
低学年は、ただ答えるのが楽しい時期である。
先生に指されたい、発言したい。
それだけで楽しいのであって、授業内容の面白さをいっているとは限らないということである。

つまり、単に自由にギャーギャー騒げているから「楽しい」と感じていることもある。
子どもが「低学年の頃は楽しかった」という場合、単にやりたい放題していたからということもある。

高学年になるとそうはいかない。
手を挙げて発言したいということも、周りを意識して憚られるようになる。
単に騒がしい授業の中にいるのは耐えがたい子どもも増える。
高学年からの「楽しい」は、自分が発言したかということ以上に、新たな発見など知的好奇心によるものが大きくなる。
だから、先の道徳の結果を見ても、安直に考えない方がよいということである。

体育でも同様。
子どもが「楽しい」という時にも種類がある。
できない技ができた時の喜びによる「楽しい」もある。
仲間と関わりながら運動ができる「楽しい」もある。
技のコツを発見した時の「楽しい」もある。
汗をたくさんかくことによる「楽しい」もある。

どの楽しさをねらっていくかで、授業が変わる。
遊びではなく授業である以上、なるべく知的好奇心を刺激するような楽しさを味わわせたい。

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