一つのことができるようになる。
繰り返す内に、より上手にできるようになる。
当たり前にできるようになる。
次が大切で、より高い目標を示す。
そこに挑戦する。
できるようになる。
当たり前にできるようになる。
次の目標を示す。
・・・・
やがて、終わりがないことを知る。
そうすると、ゆっくり取り組もうと思えるし、常に挑戦意欲を継続できる。
指導者の仕事の一つは、常に子どもが憧れる目標を示せることである。
そのためには、指導者自身が上を知っていないといけない。
下の方でもがいている人も救わないといけない。
幅の広さを要求される。
常に学び続ける教師以外、教える資格がないと言われる所以である。
「這えば立て、立てば歩めの親心」とはよく言ったもので、どのレベルでもこれでよしということはない。
一方で、どのレベルでも不足ということもない。
今もいいのだけれど、もっといける。
教える側が先にこれを持ってしまうと、互いに苦しい。
子ども自身に、先にそう思わせることである。
それにはやはり「憧れ」がキーワードであるように思う。
いいと思うものには感動を覚える素直な感性を持ち続けたい。
2015年8月5日水曜日
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