木更津技法研での学び。
ある学校で、みんなから大変信頼されている先生がいた。
校長先生が、その人物について聞かれたという。
「なぜ彼はあのようになったのか。」
すると
「あいつには、私心がない。」
とのこと。
私心がないとは、即ち利他である。
ひたすら、周りの人のために動く人物なのだいという。
仕事の価値は、他への貢献度で決まる、ということは頭ではわかっている。
しかし、何だかんだで競争社会で生きのびてきた人間が、急に私心を捨て去って働く。
これは、なかなか難しい。
それでも、できる人にはできるようである。
ひたすらに、利他。
いつか、そういう境地に立ってみたい。
2015年8月13日木曜日
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