前号の雰囲気作りについての続き。
挑戦心は安全・安心ベースから生まれる。
危険・不安では挑戦できない。
挑戦して失敗しても受け止めてもらえる前提があるからやれる。
これは、学級の日常でどうなっているかが全てである。
中心となるのは、授業。
授業中にどれだけ「挑戦による間違い」が称賛されているか。
子ども同士のコミュニケーションがあるか。
話し合いによる問題解決がなされているか。
このあたりがクリアされているようなら、何をやるにも挑戦する雰囲気ができている。
これは他のことにも言える。
何か一つをやろうとする時、日常のあらゆる場面でできているのが本物である。
そうでない場合、付け焼き刃にしかならない。
これらは全て、教師の率先垂範が前提になる。
「挑戦による失敗は善」を自分の中の価値観として持っているなら、子どもに反映される。
教師が持っていない価値観は、どんなに巧みに口で言っても反映されない。
子どもは、親を筆頭に、今まで受けてきた様々な人の価値観を吸収している。
特に学校において、現担任の価値観は強く反映される。
目の前の子どもに感じる課題は、全て自分の持つ課題だと思ってほぼ間違いない。
(よって、中には解決できない課題もある。)
どんな雰囲気を子どもたちが持っているかは、教師の持つ日常の価値観次第である。
雰囲気を変えたい場合、自分が変わるしかないというのが、これまでの実感である。
2014年11月18日火曜日
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