次の本を読んだ。
『リーダーの仮面 「いちプレーヤー」から「マネジャー」に頭を切り替える思考法』
安藤広大 著 ダイヤモンド社
https://www.diamond.co.jp/book/9784478110515.html
組織マネジメントについての本である。
5つの各章でそれぞれの「思考法」について書かれている。
「ルール」「位置」「利益」「結果」「成長」の5つである。
この本の中で明言しているのが
・「褒めれば伸びる」は子育ての論理
・仕事は(学校の)勉強とは本質的に異なる
・小学生向けのマネジメント方法が、会社組織に当てはめられているのが問題
ということである。
特に「過程(プロセス)を褒める」について、明確に否定している。
これが社会人の「残業アピール」につながっているという。
確かにその通りである。
会社組織が社員に求めるのは、過程(がんばったこと)よりも利益であり結果であり成果である。
これは逆に言えば「会社組織向けのマネジメント方法が小学生に当てはまらないことがある」
ということでもある。
これは、結構大切な指摘である。
大人の社会で通じているものをそのまま小学校におろすと、失敗することがある。
「利益主義」「結果主義」をそのまま小学生に当てはめたら、大変なことになる。(もうなっている感が否めないが。)
また学習塾の講師評価のように「成果主義」を学校現場へもちこめば、教員間の連携が著しく阻害されるのも周知の通りである。
GIGAスクール構想においてもここは考えるべきところである。
社会がICTを活用しているからといって、大人と同じように使わせて良いかといえば、答えは「NO」である。
まして、小学生に与えるのであれば、前号まででも述べたが、かなり考えるべき点がある。
つまり組織マネジメントは、通り一辺倒ではうまくいかないということである。
特に学校は特殊な組織(教育と保育の両機能を併せ持つ機関)であるため、通常の会社とは異なるマネジメント方法が求められる。
そんな中でも、この本に強く共感した点があった。
「成長」を重視しているところである。
子どもたちは、学校に何のために来るのか。
私は
「良くなるためにくる」
と考えている。
つまりは、成長である。
朝来た時よりも、帰る時の方が良くなって、成長していることが大切である。
また成長のペースや方法は人それぞれであって、一律に求めることはできない。
卑近な例をあげれば、漢字の学習や計算ドリル。
「漢字ドリルの枠を埋める」ということなど、何の価値もない。
ノートに同じ字を何個も繰り返しびっしり書くこと自体にも、全く意味がない。
ただしこれは単に「繰り返しノートに書くことが無意味」といっているのとは違う。
まだ覚えてない字に対し、書くことで覚えることができる人は、繰り返し書けばいい。
一方で、既に覚えている字やすぐに覚えられた字を、それ以上繰り返し書く必要はない。
覚えて書けるなら、もう普通に日常的に使っていけばいいだけの話である。
つまり、ドリルやノートを埋めるということは単なる方法の一つであり、それ自体には意味も価値もないということである。
そしてそれぞれの学習の過程を経て、よく覚えた状態でテストをすれば、当然100点のはずである。
だから、100点自体も別に他者がほめるようなことではない。
本人が100点という結果がとれる状態になってテストを受けているなら、当たり前である。
もし100点でなかったのならば、自分に何が足りなかったのかを考えて、次に結果を出すための糧にすればいいだけの話である。
これは、大人が運転免許を取得する時のテストと同じである。
つまり、合格する前提で、それができると思われる状態になってから、テストを受ける。(失敗はもちろんあり得る。)
全てのワークテスト等にもいえることである。
それよりも大切なのは、「成長した」ということである。
その中に
「このようにしたら覚えられた」
「このようにやると上手くいかない」
という過程を学べたのなら、成長したということであり、その過程にも価値がある。
新たに覚えて知識を得たという結果も成長であり、価値がある。
最初から知っていた字を書いただけなら、それだけの話で、特に成長はないので、やった価値自体は特にない。
(わたしたちが「あいうえお」と書くだけのテストを受けて100点だったというのと同じである。)
要は、たくさん書いてノートを埋めたという過程が大切なわけでも、100点という結果が大切なわけでもない。
「過程主義」でも「結果主義」でもない。
子どもの成長が大切なのである。
言うなれば指導の基本スタンスは「成長主義」である。
挑戦して、うまくできなくてもいい。
挑戦したということ自体が一つの成長である。
しかし、うまくいかないままで、もうどうでもいいというのは違う。
過程を工夫し挑戦し続けて結果を出すのも、成長の一つである。
だから、テストの点や成績といった結果に対しても「どうでもいい」とはいわない。
一方で、どんなやり方だろうが結果が出ればいいという、機械的な丸暗記のような方法も、成長という観点から見ればマイナス面が無視できない。
過程にも結果にもそれ自体に価値は感じていないが、過程を工夫し結果を出すという成長に対しては重い価値を置く。
つまりは「それをやる意味があるか」「その方法が最適か」ということを自ら考え、選択し、工夫できる力こそが大切である。
それは成長につながることなのか、これを常に考え、自分でも考えられる子どもを育てたい。
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