2021年10月17日日曜日

不備・不足から当たり前の感謝に気付く

 多くの場で緊急事態宣言が延長され、解除されたものの、引き続き警戒状態が続く。

禁止事項が多くなれば、世の中に閉塞感が出るのは止むを得ないことである。


こういう時こそ、楽しいことを考えるのが大切である。

単に楽観的になろうということではなく、何か今できることを探るということである。


例えば、学級で感染症対策をしながらでもできるレクはないか。

個々に端末があるからこそできることはないか。

そういった楽しいこと探しもある。


また一方で、当たり前のことへの発見がある。

制限がかかったからこそ、一つずつの当たり前だったことに価値を見出せることがある。

食糧不足の状況下でお腹が空いた時に、初めて食べられる有難さが感じられるようなことである。


いつもに比べて、明らかに不利で不便な状況である。

やれることが限られる。

だからこそ、やれることの価値が高まるという面もある。

何でも自由に手に入る時のものと、そうでない時の同じものは、価値が全く違う。


例えば、登校。

登校できることに感謝するとか価値を見出す機会というのは、なかなかない。


例えば、顔を合わせられて、話せること。

これも人が集まれるからこそである。

また登校しないでも顔を合わせられるなどは、オンライン環境が整っているからこそできることである。


子どもを前にして授業ができること。

こんな当たり前すぎることができるのも、子どもが登校してくれているからこそである。

また実際に登校できなくても、オンラインでも授業ができる環境があれば、それだけでも有難い恩恵である。


何も無理に特別なことをしなくてもいい。

不足や不便は、今までの当たり前を振り返り感謝する機会である。


今の状況は今しかないのだから、今できることを楽しみ、感謝して生きるようにしたい。

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