2021年8月23日月曜日

不安定への挑戦は安全・安心ベース

 先月オンラインで行った「学級づくり研究会HOPE」での内容のシェア。


まず、公開研究会での提案内容のICTについての話題が上がった。

その中で、特にICT使用に関するルールをどれぐらい作るかについてである。

つまり、自由との兼ね合いである。


ベースとなるのは、常々述べている次の原則である。


1 ルールは、それ自体をなくすことを目標として作る

2 信用される集団になるほどルールは減る(安全・安心が大前提)


信用されていない、危険な状態の集団ほど、自由を拘束するルールを多く作らざるを得なくなる。


例えば交通量の大変多い場に設置されている保育園で、1~2歳児の乳幼児集団を外に連れ出すとする。

自由に歩き回らせるのはもっての他、整列して道から飛び出さないようにすることすら難しい。

何かしらの工夫やルールが必要になる。

長いひもを持たせるかもしれないし、腰に巻くかもしれないし、かご付き車に乗せて押すかもしれない。


これが、少し年齢が上がるにつれて「並んで前の人についていく」程度の約束で大丈夫になる。

(小学校段階でわざわざひもはつかわないだろう。)

「なかよし遠足」で「ペアの6年生のお兄さんお姉さんと手をつなぐ」ということは、安全上の配慮でもある。


さらにぐっと年齢が上がった集団であれば「現地集合」という指示だけで十分である。

中学校以降の部活動などではこれだろう。

自転車の使用も許可できるし、ルールも拘束もどんどんいらなくなっていく。

(ただし自転車使用のルールのように、モノが加わることによって新たなルールが発生する。)


中学校の「校則問題」は、この学校側の信用度と現実との兼ね合いが焦点である。

単に昔からあるだけのものが多いかもしれない。


つまり、いつまでも同じルールで安定を求めると、過保護になり、進歩できないという状況に陥る。

集団の成熟度によって、ルールは変化させていくべきものである。


立っている状態から歩こうとする時、敢えてバランスを崩す必要が出る。

木のように根を張って立って安定している状態では、動きようがない。

今のバランスを変えて、片足を上げて前に出す必要がある。(竹馬だと体感しやすい。)


まして走る場合なら、大きくバランスを前に傾ける必要が出る。

不安定になったところへ、体がバランスを保てるよう脳がコントロールして、不安定な状況での安定を保つ。

(これが人型ロボットには大変難しいところのようである。)


実は安定を望んでその場に留まり続け、リスクを取りにいかないのが一番危険である。

なぜならば、今が安定していても、いつまでも今と同じということはないからである。


生物の進化はまさにそれで、各時代にその生き方で安定していた生き物は、一部を除き軒並み絶滅している。

長い目で見て、環境の変化に耐えられないのである。

(小学生おすすめ参考本 

 『わけあって絶滅しました』今泉忠明 著 ダイヤモンド社


チャレンジの方向が間違ってしまった生物もたくさんいるが、それは結果論である。

たくさんの方向にチャレンジした種の一部が結局生き残っている。

(クジラの祖先は犬のような外見の水陸両用の生物で、その中の海側に特化したものらしい。)


話があちこちへいったので、整理する。

結論、不安定こそが安定を生む。

今という点で見て安定を求めて動かないことこそが、線で見た時の大きなリスクである。

変化だらけの時代の今、現状を変えようという動きがない限り、確実に立ち遅れるし、将来的には危険しかない。


学級経営も、リスクをとっての挑戦が必要である。

不要なルールをなくせないか。

新しい取り組みができないか。


係活動一つとっても、子どもが自由にどの方向に行くかわからない。

大人側にあるように、子ども側にも不安はある。

その不安感も抱えて、敢えて挑戦していこうというところである。


不安な中での挑戦を支えるのは、安全・安心である。

戻ってこられる場所があるから、挑戦できる。

チャレンジできるのも、安全・安心ベースである。


万全の知識と技能、強い精神力をもった登山家がいる。

例えば、88歳で富士山での聖火リレーの役割を果たした三浦雄一郎氏。

エベレストのような山に挑戦する登山家は、自分の力だけで登山ができる訳ではないという。

登山家は、ベースキャンプや周りのサポートといった要素があるからこそ、危険な山に挑戦できる。


ありとあらゆる挑戦が、安全・安心ベースである。

勇気を出して敢えての不安定に挑戦するには、安全・安心の後ろ盾が必要となる。

それは、自転車の練習をする我が子を見守る親のような存在である。


学校が外界の挑戦すべき社会とした時、子どもにとっての安全・安心のベースキャンプは、家庭である。

ここで十分補充しているからこそ、また外に挑戦できるというものである。


今の学校は、チャレンジができる、許される状態か。

子どもにとって、そして、教師にとってである。

それは、本当の意味で安全・安心な学校かという問いかけでもある。


学校を安全・安心な場にし、もっとチャレンジしたいと思えるような空間にしていきたい。

0 件のコメント:

コメントを投稿

  • SEOブログパーツ
人気ブログランキングへ
ブログランキング

にほんブログ村ランキング