2021年8月28日土曜日

自由と承認をつなぐ対話

 次の本から。


『NHK出版 学びのきほん しあわせの哲学』西研 著


まあとにかく読みやすい本である。

ソクラテスからニーチェまで、難解な哲学をごくわかりやすく解きほぐしてくれている。


通読して感じたこととして、幸せのカギは、やはり対話である。

人とのつながりがあってこその幸せである。


この本の中で、次の記述がある。


「本当はこうしたいが、まわりが認めてくれないだろう」


「自由」と「承認」についてである。

この二つはしばしば矛盾するという。


ここのつなげ方として、この本の中では次の3つを提案している。


1 存在の承認

  ↓ 

2 自由な活動

  ↓

3 評価的承認


存在の承認が安全基地(見守られ、余計な手出しをされない)を作り出す。

そうすると、自由な活動を始める。

自由な活動をすることで、他者から評価をされ承認される。


自由と承認とは、このような関連構造であるという提案である。


さて、実際は、どこで躓くか。

例えば、今の学校教育に問題があると感じているとする。

それを解決したいと願う。

そういう場面においてである。


これは1 存在の承認 で躓く。

何かをしようとすると、手出し口出しをされるし、攻撃もされる。

「犬も歩けば棒に当たる」し、「出る杭は打たれる」である。

このような状況では、もはや自分自身の存在すら承認されていないと感じて、動けなくなる。

常に「空気を読む」という状態である。


2の「自由な活動」は1の「存在の承認」さえ通れば自然発生し、3の「評価的承認」を期待して活動できる。

3で意見がぶつかっても、1の存在の承認に戻れる関係ならば、また自由が成り立つ。


つまり、対話が必要となる。

対話することで、自分の話を聞いてもらい、相手の話を聞くことで、互いの存在が承認される。

対話から承認と自由は得られる。

現在の学校現場は、命令と義務が多すぎて、対話と自由の場が圧倒的に少ない。


学校に、対話の場が必要である。

子どもたちにも必要なのだが、その前提として教師自身に必要である。

極端な話、教師集団が幸せに自己実現できている場合、学校という場は確実に幸せな場となる。

なぜなら、その恩恵を最大に受けるのは、学校という場の主役である子どもたちだからである。


大人たちが本音で対話できないのはなぜなのか。

危険だからである。

本音を言うと批判され、叩かれるからである。

自然、空気を読むことばかりに長けていく。

それは子どもに伝染していく。


まず、教師から対話を始めたい。

私の勤務校では、普段からそのような動きをする職員も多い。

夏休みに自主的に対話の会を開く同僚もいる。

素晴らしいことである。


今、学校現場に必要なのは、対話である。

子どもと離れる今の時期だからこそ、何が大切なのかを改めて見つめ直していきたい。

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