2021年8月4日水曜日

自発・自治は大変な方の戦略

 先月、他市から依頼された特別活動部会の講座では、「自発的・自治的を目指した活動」がテーマだった。


やり方ではなく、根本・本質・原点についての話をした。

ここについて、当日は話さなかった内容も加えて記す。


そもそも「自治的」というのは、戦略である。


戦略には、必ずそれに合致した戦術がある。

今までの他の戦略上では有益だったものが、全く使えない。

あるいは、マイナスにすらなる。


自治的学級づくりの方向での戦略というのは、基本的に短期で結果が出にくく、非能率である。

非能率であっても、なるべく指導者は手出し口出しを避け、相手が主体性を発揮することを待つ。

自ら動きだし、自分たちで自分たちのことを決めていくことを目指す。

自分たちで考えてやるのは、試行錯誤になるため、失敗も多い。

「主体的非能率戦略」である。


ここでとられる戦術は、すべて他者との比較を求めない。

単一の物差しで測るのではなく、あくまで個性の発揮である。

能力の異なるものが、それぞれの得意を提供しあって補完しあい、協力するというのが理想形となる。

メンバーの中の全員を生かすという発想になる。


また、自治を目指す場合、トラブルがあっても指導者が安易に介入することはしない。

自分たちの力で乗り越え解決できることを重視する。

指導者がするのは、そのための励ましや後方支援程度である。

(ただし、任せると大きな危険があると判断する場合は迷わず介入する。)


一斉指導というのは、どちらかといえば、受動的かつ能率的な戦略である。

現在の学校のように一クラスが多人数の場合、初期段階からしばらくは有用かつ必要な方法である。

しかし、それが育ってから自治的集団へのシフトの際は、それ以前の段階までの指導と真逆をいくことになる。

戦略的には最初から自治を目指しているのであっても、最初は一斉指導になるというのがややこしいところである。

(最初から少人数の個性重視でいけるのならば必要ないのだが、現在の制度上そうはできない。)


つまり、この自治的学級を目指す過程では

「楽しい授業」

「面白いことをしてくれる先生」

「丁寧できめ細やかな指導」

「子どもが素直でいうことをよく聞く」

がマイナスに働く可能性がある。


本来なら、かなり良いことのはずである。

教育書のタイトルにも並ぶような魅力的な文言たちである。


なぜなのか。


それをやるほど、子どもは受動的になり、依存的になるのである。

「次はどんな面白いことしてくれるんだろう」

と、わくわくして期待する。


これは裏を返せば、完全に受け身である。

素晴らしいサービスを期待している状態である。

高級旅館のおもてなしや、最高の料理、あるいは各種エンターテインメントを期待する姿である。

他に癒しや刺激を求める行為である。


一方で、自治というのは、お寺のような状態である。

朝は自分で起床し、掃除他のやるべきことをやり、自分たちで食事の支度も片付けも、一切をする。

自ら学び、気付くまでひたすら自己に問いかける。

「悟り」とはどういうことなのか、真理とは何なのか、和尚さんには教えてもらえない。


実際、ここまでストイックではないが、形としては近い。

何かを教えてもらうのではなく、自ら気付くのを待つのである。

何かを与えてもらうのではなく、自分のことを自分で行うのである。

「行」である。


「クラス会議をしていれば、自治的集団づくり」というのは大きな勘違い、というのがこの辺りにある。

クラス会議のみならず、全ての戦術において、自治を目指すものを選択する。

さっさと「正解」「公式」を教えてあげれば終わるものも、教えないし介入しない。


(「公式」と「自治」は相性が最悪である。

自治的になる公式は無い。

「公式」と相性がいいのは「官治」である。)


自治を戦略と決めて目指す場合、指導者側としても、軌道に乗るまでは、かなり忍耐の道である。

やろうと思うけど途中でくじける、というのが普通である。


だからこそ、やる価値はある。

今の学校教育がこのままで大丈夫、というのならば、変える必要はない。

しかし、今までの戦略をとり続けることでは、正直、明るい未来が全く見えない。


だとしたら、やはり自発的・自治的活動を求めていく時ではないか。

学級活動の全てにおいて自治を目指して行っている事例が、圧倒的に少ないのである。


どんなものにも、安易な方と大変な方がある。


背筋を曲げる方が安易で、腰骨を立てるのは大変である。

靴を脱ぎ散らかす方が安易で、脱いだ靴を揃える方が大変である。

ジャンクフードの方が安易で、きちんとした料理の方が大変である。


例年通りの方が安易で、改善の提案をする方が大変である。

相手の言うことに黙って従う方が安易で、正しいと思うことを意見する方が大変である。

すぐ結果が出て得する方法をとる方が安易で、今損をしてでも苦労して回り道をする方が大変である。


価値があるのは、いつも大変な方である。

長い目で見た時に、本当に楽になれるのも、大変な方である。


大変な方を選択していくことで、道が拓かれるように思う次第である。

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