教員免許更新制の廃止が議論に上がっている。
あくまで可能性が出てきた段階ではあるが、これは現役の教員にとって、かなり大きなニュースである。
今回は、教員だけでなく子どもの活動も含めたムダな取り組みの廃止の大切さについて。
不要なことを減らせば、大切なことに時間を使える。
当たり前の話である。
どんなことでも、やればやっただけ、何かしらの価値はある。
免許更新講習の全てがムダだとは思っていない。
しかしながら、今の現場にとって優先順位が高いか、やるべきかと考えた時、明確に「NO」である。
(これは「夏休みの宿題」とも通ずるところがあるので、そこについては次回述べる。)
免許更新制は、現場の人材確保の足枷になっているということで、廃止の方向である。
メリットよりもデメリットが大きく際立った形である。
もはや、免許を出している場合ですらないのかもしれない。
学校側は、猫の手も借りたいほどの人手不足という「売り手市場」である。
各都道府県での教員採用試験の止まらない倍率低下も、顕著にそれを物語っている。
また、実習がどんな状況であれ、最低日数出席さえしていれば、大学側は免許を出さざるを得ないという実態がある。
自分が現場で多数の実習生を見てきている分、その問題については間近で見ていて、他大学でも同じとのことなので間違いない。
そんな現状の教員免許に、どれほど資格としての意味があるか疑問である。
免許を有意味にするには、免許交付の壁を高くする必要がある。
単に講習さえ受ければ得られるような資格に大した意味はない。
ある資格が有意味で価値があるとしたら、それはその取得の難易度の高さゆえである。
一方で、かねてより教員免許を国家資格に「格上げ」しようという動きもある。
しかしながらこれは、現状の日本の制度上ではデメリットが大きすぎる。
そこまでの取得苦労への正当な対価が得られないと予想されるからである。
国家資格までとったのに、高給でもなく誰彼からも文句を言われ放題という立場に甘んじようという人は稀である。
それでもそこを目指すような人は、元々免許に関係なくやる人である。
(逆にいえば、教員の立場や権限が今とは異なる社会になるのであれば、国家資格化に大きな意味が出る。)
要は現状、免許の壁を高くするだけ、人手不足を引き起こす結果になるだけである。
その意味において、今回の免許更新制の廃止は、現場としては大歓迎してよい動きである。
話を冒頭に戻すと、再三述べている通り、学校は新しいことを始める前に、不要なものを捨てることの方が大切である。
学校はもはや「過積載のトラック」である。
積載率200%越えである。
荷物の下の方には、もう完全に化石になったようなものも多く埋まっている。
慣例でやっているものを、いっそ全撤廃できないか考えてみる。
それによって、人々が本当に幸せになるのではないかと考えてみる。
これを機に、学校のあらゆる不要について、見直す良い機会にしていきたい。
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