先日、講座の打ち合わせを兼ねて気の置けない友人たちと一席設けた。
その際、「何のために仕事をしているのか」についてが話題になった。
教師の存在意義は、子どもである。
子どもがいないなら、存在意義がなくなる。
例えば、いわゆる「手のかかる」子ども。
大変である。
つまり、教師を「大変」させてくれる存在である。
(そういう子どもを「神様」と呼んでいる。)
そういう子どもと取っ組み合った一年は、振り返ると本当に充実感がある。
何もしなくても勝手に成長してしまうなら、楽だが味気ないともいえる。
例えば、前年度に「学級崩壊」を体験してしまったクラスの子どもたち。
子どもたちは、立ち直ることを求めている。
リーダーを求めている。(しかし、表向きは無気力、または反抗的であったりする。)
求められているとわかれば、がんばれる。
ピンチは見方によって「大変」のチャンスである。
例えば、いわゆる「安定した」子どもたち。
普通にしておけば、普通に過ごせる。
そこに、あえて火を付ける。
大変だが、そこに何かしらの変化を起こせる。
要は、子どものためになること。
どの学校にも、本当に子どもに寄り添って、一緒に泣いて笑って怒って喜んでいる先生がいる。
その先生に出会って、その後の人生が前向きになった子どもがいる。
それが、周りに知られている必要はない。
目立つ必要もない。
「何のために」が、しっかりとある。
地道に、目の前の子どものために何ができるか考えること。
それをやること。
「何のために」に迷ったら、目の前の子どもを見る。
教師の仕事の存在意義は、そこにしかないと思い至った次第である。
2016年6月11日土曜日
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