子どもの動きが気になる時にする話。
「大変」と黒板に書く。
大変とは、「大きく変わる」ということ。
「大変な方を選ぶと、大きく変わっていけるよ」と話す。
例えば、歌。
歌わないのは誰でもできる。
しかし、自分から声を出すのは、大変なことである。
しかし、そこから自分の殻を破れる。
変われる。
もっと小さいことでもいい。
隣の人が物を落とした。
拾ってあげるか否か。
拾ってあげる、拾ってあげない。
どちらの選択もできる。
大変なのはどっちか。
(大したことではないが。)
これは、拾ってあげる方が大変。
拾ってあげることで、隣の人との関係が変わるかもしれない。
大したことではないので、変わらないかもしれないが、少なくとも良い方には傾く。
掃除を一生懸命やるか適当にさぼるか。
漢字テストの練習を満点に向けてやるか適当にしておくか。
算数の授業で自分だけどんどん進むか人に教えるか。
どれも、大抵、大変な方に価値がある。
成長の種がある。
つまり、ピンチはチャンスになるということでもある。
大人にもいえる。
人生は、選択の連続である。
自分は、楽な方を選んでないか。
大変な方を進んで選べているか。
子どもに求める前に、自分がやるというのが、「大変」な選択である。
2016年6月1日水曜日
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