たまにはエッセイ。
最近になって、5歳の娘があらゆることに「何で?」と尋ねるようになってきた。
「ナンデ期」の到来である。(年齢的にはちょっと遅い。)
ナンデ期の大切さを説く自分としては、「何ででも!」とは答えないよう心がけている。
(毎度きかされる母親側はたまったものではないらしいが。)
さて、とある休日の話。
窓の外は春の嵐が吹き荒れる中、私は部屋に籠もってパソコンに向かい、いそいそと原稿書きやら何やらの仕事をしていた。
外に出られない娘は退屈でたまらない様子。
ちょいちょい、部屋に入ってくる。
その度、休日にも相手をしてやれない極道親父ぶりに心が痛む。
ふうと一息ついたその瞬間、娘の「何で」がやってきた。
ずばり、次の問い。
「お父さんは、何で仕事してるの?」
このタイミングで、何て本質的かつストレートな問いをぶつけてくるのだろう。
・・・なぜなんだ。
なぜ私は休日に娘をほったらかして仕事をしているのか。
家族のためだよと答えたかったが、それでは既に今この現時点で完全に矛盾を起こしている。
しかも、書いているのは、「道徳」の原稿。
道徳とは何なのか。
人の進むべき正しい道とは。
今しているこの行為自体が、完全に反道徳、アウトローではないのか。
・・・・
しばし絶句した後、やっと出たのが、次の一言。
「何でかなぁ。不思議だね。」
我ながら、大馬鹿野郎な情けない答えである。
どこのどいつがどの面下げて『ピンチがチャンスになる「切り返し」の技術』なんて本を書いているのか。
完全にピンチのままではないか。
なぜなんだ。
なぜ休日も働いているんだ。
しかも、やや本業から外れているではないか。
生暖かい春の嵐吹き荒れる中、汗が一筋、背筋を流れ落ちていくのを感じた。
娘は、「ふ~ん」と言って部屋を出て、その後おやつのチョコを口いっぱいに頬張っていたそうな。
2016年6月5日日曜日
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