前号の続き。
アクティブ・ラーニングが実現されている実践は、教室でなされているのか。
これは、もうずっと前から各地で実践されている。
ただ「アクティブ・ラーニング」という言い方がなされていなかっただけである。
ラベリングの差である。
少し前に「言語活動の充実」が提唱されてからは、特に増えたはずである。
例えばこれが一番実現されやすい国語科の学習では、「単元を貫く言語活動」ということで、全国で様々な実践が広がった。
物語文を読んで内容理解をして終わりにしない。
パンフレット・リーフレット作り、帯作り・推薦文作り、劇化、インタビュー活動、手紙、絵日記、ディベート、再話、続きの話や類似した話の創作、同じ作者の物語の比較、問題作り、評論文・・・
これらの言語活動を単元全体に設定することで、能動的かつ協同的に子どもが動くように仕掛ける実践が山ほどなされた。
この中で今求められている「アクティブ・ラーニング」の実践が実現されていた教室もたくさんあったはずである。
ただ、表面的に方法を真似をしたからと言って、必ずしもうまくいかないのが現実である。
物語を読んでから台本作りと劇化を設定したが、思ったように子どもが動かない。
尻すぼみになって終わってしまう。
よくある話である。
なぜなら、その実践に対しての教師の理解度が違い、かつ子どもの実態に合っていないからである。
だから、アクティブ・ラーニングの方法は、具体的に示されていない。
「学習問題を書いてみんなで比較検討して正解が出たから、問題解決学習ができた」とはいえないとの同じである。
やり方だけが先行して、内実が伴わないという事態を防ぎたい意向があるのかもしれない。
文科省が全国の教室に求めているのは、各自が工夫をすること。
従来通りではなく、一工夫して欲しいということ。
少し前に紹介した「プレミアム授業」を標準仕様にして欲しいということであると解釈している。
繰り返すが「これをしたからアクティブ・ラーニングの授業」ということはない。
アクティブ・ラーニングは、そうなった「状態」である。
同じ時間の同じ教室の中にも、そうなっている子どもとなっていない子どもがいる。
すごく興味を持って意欲的に活動している子どもとそうでない子どもがいる、というのが普通である。
だから、なるべく全員がそうなるようにやり方を改革してくださいということである。
曖昧なことを求められている感じもするが、これは文科省からの「頼まれ事」である。
そして「頼まれ事は、試され事」。(この言葉は中村文昭氏の講演CD『しゃべくり』より引用。)
各自の工夫の余地がたくさんあると解釈して、前向きに取り組みたい。
2015年11月4日水曜日
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