前号の続き。
修養をどうするか。
先月、友人を誘って「掃除に学ぶ会」というものに参加してみた。
掃除「を」ではなく「に」である。
掃除から学べることは、たくさんあった。
学んだことだが、ここには書けない。
やった人の個人的なものとしてわかる学びである。
もっと正確に言うと、やった人によって、学べる内容が違う。
「被災地に学ぶ会」にもセットで出てきた。
折しも、その日は原子炉から最大がれきが撤去され、原発の後処理に大きな一歩があった日でもあった。
福島の現状はすごい。
何がすごいかというと、4年も経ったのに、街が震災当時と同じ姿なのである。
しかも、人は住んでいない。
草木が生い茂っていることだけが目に見えてわかる変化である。
他の被災地とは一線を画す姿である。
被災地の人のために少しだけ働いたことは事実。
しかし、実際は被災地とそこの方々から学ばせていただいたというのが真実である。
一つの修養になった。
教え方の研究は大切である。
一方で、一見直接教育とは関係のない会からも、学べることは多い。
研究と修養、両方をバランス良く行いたい。
2015年9月6日日曜日
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