夏休みの自由研究。
ひまわりの観察。
色とものの温まり方の関係。
かびの生え方。
とにかく、子どもは、何かを対象に研究を行う。
研究の対象物は、他にある。
校内研究。
自主的に学ぶ子どもを育てるには。
学ぶ意欲を育む体育学習の在り方。
これも、対象物は外にある。
要は、研究というのは外、他を対象とする。
一方、修養という言葉がある。
修養は、他でなく、自分自身を対象とする。
普段多いのは、圧倒的に「研究」の方である。
なかなか修養をする機会はない。
各地で教員対象のセミナーが開かれるが、やはり多くは研究である。
「教師としていかに生きるか」というようなテーマは少ない。
要は、直接的に教育に関係のなさそうな会に出てみるという提案である。
それが、修養になる。
例えば、お茶の体験教室に行ってみる。
お茶の出し方も学べるかもしれないが、それ以上に人としてのありようを学べるかもしれない。
これは、余裕がないと難しいが、予想だにしない学びが確実にある。
未知の領域は、学びの宝庫である。
(長くなるので、次号に続く。)
2015年9月4日金曜日
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