2011年10月21日金曜日

自分はどの教育手段を使うか

どんなことでも、方法は無限にある。
教育の分野も同じで、何が最良かはわからない。

例えば、休み時間に毎日子どもと遊ぶ教師がいる。
一般的に見て、いいことだと思える。
特に体を動かすのが好きな子どもにとっては魅力的である。
しかし、子どもと毎日遊ばない教師はダメかというと、そんなこともない。
むしろ、運動嫌いの子どもは、もしかしたら疎ましく思っているかもしれない。(あくまで「かも」、である。)
「子どもと一緒に遊ぶ」というのも、教育の一手段であり、必須条件ではない。

例えば、音楽系の分野に長けた先生がいる。
子どもと一緒になって歌ったり楽器を演奏したりして、土日も返上して音楽活動をしている。
音楽好きの子どもにとって、この上なくすばらしい先生である。
じゃあ音楽ができない先生はダメかというと、そんなこともない。
音楽に興味がない子どもにとっては、有効な教育手段になりえない。
音楽も、一手段である。
運動も、書道のような芸術系分野も、何もかも一手段である。

どれも、「できるならできた方がよい」ぐらいのものであって、一人で全ては揃えられない。
そういう教育に使える手段を、いくつ持って、いくつ活用しているかが大切である。
バリエーション豊かな方が、様々な子どもの成長に対応できる。

自分一人で完璧な教師になろうとせず、周りと協力することが大切である。

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