2011年10月12日水曜日

教育における環境と金

教育は環境が大切である。
「孟母三遷」という話があるように、我が子に良い教育を受けさせるために、労を惜しまず引っ越す人もいる。
本人の才能もあるだろうが、やはり教育における環境の差は大きい。

具体的には、お金である。
教育でお金の話を持ち出すと、嫌がる人も多い。
本気で教師になりたくてなった人ほど、「お金のために働いている訳じゃない」という人が多い。
多分、他の仕事でもこれは同様である。
お金をもらわくてもやりたいというぐらい好きなのである。すばらしいことである。

そういう個人的な話ではなくて、いわゆる教育予算のことを言いたい。

「お金がなくても工夫すればいい」という意見ももっともだが、限度がある。
子ども一人に一台ずつパソコンがある教室と、黒板とチョークしかない教室の差は、埋めがたい。
戦においては、どんなに剣の腕を磨いても、鉄砲の前には歯が立たないのである。

何が言いたいかというと、カネの問題を無視して教育の論議が進められていることに不満がある。
具体的に一つ例を挙げると、「情報化」を推進している割に、情報器機への予算が割り当てられていないことがある。

「デジタル教育器機を活用していますか」「使いこなせますか」というアンケートがくる割に、モノがない。
教室でプロジェクター(校内に3台)を使用するのだって、一苦労である。
授業の合間の休み時間10分間で用意しても間に合わない。
(教材を作るのは、簡単である。)
実質的に、日々使える環境にないのに、やれと言われるのが困る。
モノさえあれば、毎日だって使う。

読者の中には、最新器機の揃ったすばらしい学校に勤務している方もいるかもしれない。
しかし世の中には電子黒板はおろか、地デジ化すらされていない学校もある。

ない分は工夫するしかないが、やはりモノはあった方がいい。
時々県外の知り合いにでも尋ねてみると面白い。
自分の学校がいかに恵まれているか(またはその逆か)、驚くはずである。

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