2021年5月14日金曜日

丁寧よりも「短くズバリ」が親切

 教育においては、丁寧さが求められる。

特に低学年担任では、顕著である。


幼い相手を、大切にしようという視点である。

これ自体はとてもいい。


しかし、丁寧も度がすぎると、時として迷惑、害悪にもなり得る。


例えば、話し方。

丁寧に話そうとすると、次のようになる。


「皆さん、今からお話をしますよ。

いいですか?

今から、音楽室に持っていく持ち物を言いますからね。

よく聞いているのですよ。

まず、筆箱をもっていきます。

次に、教科書をもっていきます。。

それと、歌集をもっていきましょう。

わかりましたか?」


とても丁寧に伝えようという親切心、優しさがある。


しかしながら、長い。

長すぎる。

文章を打っているだけでも疲れる。

ワーキングメモリの少ない子どもなら、3行目の「今から~」のくだりでメモリオーバーである。


次のようにずばり言えばよい。


「音楽室に持っていくものを言います。

筆箱、教科書、歌集。

この3つです。」


これなら伝わる。

もっと短くできる。


「持ち物を言います。

筆箱、教科書、歌集。」

指を1本ずつ立てながら言えばより効果的である。


ただし、大前提があって、この言葉を発する時に、聞く姿勢ができているということである。

大騒ぎしている中で発しても伝わるわけがない。

つまり、聞く姿勢をつくるという方の指導にこそ注力すべきである。


さらにいうと、一言も発しない方法もある。

持ち物を板書すればよい。

書く手間がある分、この視覚情報は多くの子どもにとって、最も助かる方法である。

教室が多少騒いでいる状態でも、かなりの程度伝わる。


ただし「話を聞く」という力をつけたいなら、やはり聞いてわかるように指導する場面も多く必要である。

親切心で毎回書いていたら、いつまで経っても、聞く力は身につかない。


要するに、丁寧すぎるそのやり方が、混乱を招いているかもしれないと疑おうということである。

低学年だからといって、丁寧にやりすぎる傾向がある。

丁寧というより、単にくどいだけになっている可能性がある。


これは、話し方に限ったことではない。

あらゆることに、その可能性を考える必要がある。

大人が口や手を出しすぎていないか。

補助輪は転ばないために便利だが、一体いつのタイミングで外すのかということである。


丁寧よりも、短くズバリ。

敢えて丁寧な方法をとらない。

親切心があるからこそ、心がけるべきことである。

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