2021年3月7日日曜日

感染症の「その後」を予防的に指導する

今日は「スルー」できない感染症の「その後」の対策について。


特活部の仲間が考えたものを、道徳で実践したものである。


「もしも自分がかかってしまったら」ということを考えていった。

想定としては、自分が感染したが完治した、あるいは疑いがあって検査したら陰性だった、という場合である。

つまり、数週間教室に来られない状況の「その後」である。


そこで「自分がその立場だったら、どんなことが怖いか」をノートに書き、全員が順に発表していった。


・いじめられる(仲間外れ・無視・避ける)

 →自信を失って不登校になってしまう

・距離を置かれる、遊べなくなる 

・学校や習い事などの人たちの迷惑になる(特に受験生の多い塾)

・うつしていないか心配

 →他の人がその後にかかった時にも自分の責任だと思ってしまう

・デマを広められる


大体、これらのことが挙げられた。

そしてこれらは、大人社会でこそ起きている現象である。

小さな社会である学級でこそ、きちんと対策をとっておくことが大切である。


次のように問うた。

「いじめるのは誰ですか」

「仲間外れにするのは誰ですか」

「デマを広げるのは誰ですか」

・・・


それは「隣の人」だと気付く。

つまりは、クラスの仲間である。

それは、隣の人からすれば、自分自身のことである。


何をされたくないかを、共有した。

つまり、理論上、自分がそれを人にしなければ、それは起きない。


行き着いた結論は

「自分のされて嫌なことは、人にしない」

という、日常から言っている、当たり前のことである。


まとめに、市のページで、差別に立ち向かう宣言をしている動画を流した。

参考:千葉市H.P. 新型コロナウイルス感染症に関する人権への配慮について(コロナ差別がゼロのまち宣言の発出)

https://www.city.chiba.jp/hokenfukushi/iryoeisei/seisaku/sabestu_zerosengen.html


子どもたちは、真剣にきいていた。

我々にとって、ウィルスそのものだけではなく、人間の差別意識こそが立ち向かうべき相手である。


この実践のポイントは、できれば誰もその状況になっていない内に行うということである。

つまりは、予防的指導である。

治療は予防の100倍の労力を要する。

予防に力を入れておくのが上策である。

その点は、感染症対策と同じである。


この実践には、特別な準備は何もいらない。

思いの共有こそが肝である。

事が起こるその前に、予防的アクションを起こしておきたい。

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