学校や学級のルールについて。
学校におけるルールとは、集団において公共の利益を損なうことがないように設定される。
それらは合理的かつ必要最小限ものであることが望まれる。
制服問題などの議論が活発になっているのは、この合理性に疑問符がついているからである。
つまり、ルールを無条件にのむのは正しい姿勢とはいえない。
一方で、ルールの存在意義や背景を理解しようという姿勢もなく、ただ単に従わないというのはそれ以上に大きな問題がある。
学校で注意すべきはどちらか。
実は両方の問題が生じる。
ルールに無条件に従うようにしている内に、必要なルールも平気で破るようになる。
表面的に言うことを機械的にきくようになるのと、裏でのルール破りの多さは表裏一体である。
一方で、自分で判断できることとルールを正しく利用できる力も表裏一体である。
前者は、どんどん理解力がなくなるが故に生じる「故障」である。
正しい判断力と思考力及び道徳性を失う。
後者は、理解力が高まることによって生じる進歩・成長である。
ルールが何のためにあるかを理解し、必要な場面で必要な適用ができる。
そしてそれが不要な場面では、時に上手にルールを越えて行動する。
どういう場合に、そのルールを越えて行動しても人々のためになるかがわかる。
緊急時の判断力などはここに属し、これは、とても高いレベルの行動である。
レベルが低い状態、機械的な状態だと、自分に都合の良いように解釈をして、平気でルールを破る。
あるいは「みんながやっているから」というのが判断基準になる。
内部から腐っていく会社と同じ構造である。
学校のルールは、理解をした上で活用させていくものである。
無暗に従わせるのも害悪だし、平気で破らせるのも同じくらい害悪が大きい。
学校のそのルールは何のためなのか。
大人の側こそ、理解できているか再点検すべきかもしれない。
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