学びのシェア。
ZOOMを使ったセミナーでの勉強会が続いている。
オンラインセミナーは、この感染症対策が終息した後も主流になりそうな気配である。
さて、先日の技法研での学びと、特別支援級の先生との学習会からの学びに共通点があった。
一つ目は
「先手必勝」ということ。
技法研において、私は不当な差別を予防するという観点で、道徳の授業提案をした。
(ブログ『感染症の「その後」を予防的に指導する』を参照)
私の提案に対して、
「教育は予防」
という言葉でまとめられた。
この件に限らず、教育は事前に起きる事態を予測して、予防的に行うということである。
一方で、特別支援級の先生の言葉にも
「先手をできるだけ早く!」
というポイントが示されていた。
「こうなると助かる」が事前にわかっていることで、適切な対応ができる。
個別の教育支援計画が大切な所以である。
転ぶ程度のけがはさせることも大切だが、大きな危険があるとわかっていることには、事前に先手をうつべきである。
教育においては、「先手」「予防」というのが重要であると再認識できた。
二つ目は
「知る」の大切さである。
私の提案自体、子どもが互いの考えを知るということに重点を置いている。
また、そういういじめが社会にあると知っているから、このような授業をしようと対処ができる。
技法研では、別の例も示された。
国家というような目に見えない存在については、教えるからこそ知れる。
国家が国民を守ってくれているということなど、平和に暮らしていると当たり前すぎて、自然に知ることはできない。
今日の学びの方でも知ることの大切さが示された。
特別支援級の先生が若い頃に言われた言葉に
「知らんと差別してるかもしれへんやろ」
があったという。
自分としては差別のつもりで言ったのではないちょっとした言動が、相手を傷つけていることがある。
差別を意識しなければ差別にならないと考えていたが、自分が浅はかだったと思い知ったという。
例えば、総ルビ付のワークテストや教科書の存在。
合理的配慮に基づいて、そのように作られたものがある。
しかし、相手がそれを知らないと「そんなものない」と突っぱねられてしまう可能性がある。
知ることは大切である。
外に向けて勉強会に出ると、知ることができる。
自分の感覚・常識が「普通」ではないと気付くことにもなる。
世の中に普遍的な「普通」は存在しないと気付く。
どれも自分が「普通」だと思い込んでいるだけかもしれない。
共通点があったということから、ここにはある程度の普遍性があると考えられる。
教育では「予防」と「知る」が大切。
今後の学びに生かしていきたい。
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