様々な人間関係を見ていると、「なめている」と感じるものがある。
大人も子どももある。
「なめている」とは、相手を見下した状態である。
親子関係、職場の同僚、学級で過ごす仲間や担任との関係など、継続する人間関係でこれはよくない。
「学級担任はなめられてはいけない」というと、誤解を招く。
荒れた状態の学校に赴任した教師の心境を想像するが、それではない。
相手より上になるのではなく、フラットなよい関係を築くべしという意味である。
なめてるとは、相手を尊重していない状態で、教える、教わるという関係性でこれは障壁になる。
子どもの側も同様である。
子どもの側へも、子どもだからといって、「なめている」状態はいけない。
相手を尊重する態度がないと、能力を低く見積もって十分に教えることができなくなる。
「まだ〇年生だから〇〇ができない」という考え方も、子どもをなめきっている証拠である。
どちらか(あるいは両方)が「なめている」という人間関係の状態は、お互いを不幸にする。
逆に、お互いが「リスペクト」し合っているという人間関係の状態は、お互いを幸福にする。
拙著『切り返しの技術』や『お年頃の高学年』でも書いたが、子どもが失礼なことを言ってきた時は、スルーしない。
子どもだから、大人だからと関係なく、相手を傷付けていい理由はない。
大人への接し方が間違っているなら、子ども同士の接し方も当然間違える。
ここは、きちんと教えるべきところである。
「私はあなたのお友達ではないのですよ」「その言葉は傷つきます」というような切り返しも必要である。
リスペクトを示すのに最もわかりやすい言葉が「ありがとう」である。
「ありがとう」はあらゆる言葉の中で、最も万能に使える。
少しでも良いこと、助かることであれば、小さなことでも「ありがとう」である。
当り前のことにも「ありがとう」である。
「なめている」状態になると、ありがとうは出なくなる。
感謝の念がなくなる。
学級の荒れは、リスペクトの欠如からである。
ありがとうが自然に出るか。
出なければ、こちらからどんどん出す。
予防は治療の100倍簡単である。
相手をなめず、普段から「ありがとう」を伝えられるようにしたい。
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