2021年2月23日火曜日

リスペクトの入り口は「ありがとう」

様々な人間関係を見ていると、「なめている」と感じるものがある。

大人も子どももある。


「なめている」とは、相手を見下した状態である。

親子関係、職場の同僚、学級で過ごす仲間や担任との関係など、継続する人間関係でこれはよくない。


「学級担任はなめられてはいけない」というと、誤解を招く。

荒れた状態の学校に赴任した教師の心境を想像するが、それではない。

相手より上になるのではなく、フラットなよい関係を築くべしという意味である。

なめてるとは、相手を尊重していない状態で、教える、教わるという関係性でこれは障壁になる。


子どもの側も同様である。

子どもの側へも、子どもだからといって、「なめている」状態はいけない。

相手を尊重する態度がないと、能力を低く見積もって十分に教えることができなくなる。

「まだ〇年生だから〇〇ができない」という考え方も、子どもをなめきっている証拠である。


どちらか(あるいは両方)が「なめている」という人間関係の状態は、お互いを不幸にする。

逆に、お互いが「リスペクト」し合っているという人間関係の状態は、お互いを幸福にする。


拙著『切り返しの技術』や『お年頃の高学年』でも書いたが、子どもが失礼なことを言ってきた時は、スルーしない。

子どもだから、大人だからと関係なく、相手を傷付けていい理由はない。

大人への接し方が間違っているなら、子ども同士の接し方も当然間違える。

ここは、きちんと教えるべきところである。

「私はあなたのお友達ではないのですよ」「その言葉は傷つきます」というような切り返しも必要である。


リスペクトを示すのに最もわかりやすい言葉が「ありがとう」である。

「ありがとう」はあらゆる言葉の中で、最も万能に使える。

少しでも良いこと、助かることであれば、小さなことでも「ありがとう」である。

当り前のことにも「ありがとう」である。


「なめている」状態になると、ありがとうは出なくなる。

感謝の念がなくなる。


学級の荒れは、リスペクトの欠如からである。

ありがとうが自然に出るか。

出なければ、こちらからどんどん出す。


予防は治療の100倍簡単である。

相手をなめず、普段から「ありがとう」を伝えられるようにしたい。

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