2021年2月11日木曜日

自国への誇りの意識について考える

 建国記念の日である。

神武天皇の即位に関連して、令和の即位礼正殿の儀に際して感じた時の気付きを書く。


自国の天皇(王)が即位する。

国を挙げて全員でお祝いする。

私も日本国民として、令和の平和と安寧を願い、お祝いした。

右とか左とか主義主張とかどうこう全く関係なく、至極当然のことである。


これは、当たり前だが総理大臣の交替や政権交代、他国の大統領交替とは意味が全く違う。

政党には主義主張があるので、対立も当然起きる。

だから、誰かが当選したら、必ず誰かががっかりしている。


政権交代となれば、国民の中でも、立候補者達と同様の反応が起きる。

利害関係がとてつもなく強いからである。

国によっては、テロ行為やクーデターが起きているところもある。

実際、ミャンマーなどは、今大変なことになっている。


天皇は政治的に中立であり、交替しても国民の中にこのような対立が起きることはない。

自分の国を大事に思うこと、平和と安寧を願いお祝いすることは、国民として至極当然のことである。


しかしである。


そういう、当たり前のことを、何か言いにくい風潮がある。

これは、特に私たち周辺の年代や、その上の年代にはさらに根強い。

多感な学齢期に、日の丸問題やら何やらで大人が揉めている混沌の間で育ったからである。


今の若者の意識はどうか。

18歳から24歳までの青年を対象とした「世界青年意識調査」というものがある。

(参考URL 世界青年意識調査 第2部 調査の結果)

https://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/worldyouth8/html/2-5-1.html


平成19年度調べによると、「自国人であることに誇りをもっている」に「はい」と回答した割合が8割を超えている。

その4年前が7割だったことからすると、かなりの割合で増加しているといえる。

今から10年以上前ということを考えると、今の30代の人たちの意識である。


今の20代は、更にこの割合が高まっていると予想される。

世界に出ようという今の若い人たちの方が、日本という国に対する誇りがあると推測されるということである。

これは好ましいことである。


考えるべきは、なぜ「自国を大切にしましょう」というような当たり前のことを言うのに抵抗感が出るのかである。

年中クーデターが起きているような不安定な国ならまだしも、国家として国民への安全を担保しようという努力が見られる国である。


これは先にも述べた通り、やはり、歴史的に見て、政治的な絡みがあったからだと推測される。

自国への誇りを失うような風土が、他国からの外圧と介入により戦略的に作り上げられてきた。

年号も変わった今、もう抜け出していい時期である。


少し古い本からだが、私の好きな「自由人」高橋歩氏の本の中から引用する。

自信とプライドをもって世界中を放浪していた著者。

しかし「自分の国への誇り」だけはどの国の同世代にも「負けた!」と思ったとのことである。


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(引用開始)

やっぱり、オレは日本人なんだし、「日本的なもの」を知って、愛

して、誇りを持つことは、人間として自然だと思う。

「自分の国の歴史や現実」についての話を「堅い話」とチャカしたり、

「愛国心」みたいなものを「右翼」とか言って変にタブーにするのは、

逆に不自然な気がしてきている。

(引用終了)

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(引用:高橋歩(2001)『LOVE&FREE ~世界の路上に落ちていた言葉~』 サンクチュアリ出版


世界を股にかける「自由人」だからこそ「自国への誇り」なのである。

自国への誇りをもつということは、自国のみを尊重し利益を貪ろうとする狭窄的視野とは真逆である。


この辺りの意識については、学習指導要領にも定められている通り、学校教育が責任をもって担う分野である。

ここから、建て直しである。


他国を尊重する態度は、自国を尊重することと根は同じである。

自分を大切にする気持ちをもつ。

すると、自分と同じように、周りの人も、それぞれの「自分」が大切な存在であることに気付く。

自国への誇りなくして、他国への尊重も世界の平和も考えられない。


令和になって新たな国民の祝日として迎える天皇誕生日も含め、2月は自国について考えるよい機会である。

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