地元サークルの木更津技法研での学び。
次は、サークルでの野口芳宏先生の言葉。
「失敗は、怖れるべき。」
一瞬「え?」と戸惑った人も多いのではないかと思う。
(私がそうだった。)
具体例として、社員数万人を抱える大企業の社長が、怖れずに失敗をする訳にいかないだろうとのこと。
確かにそうである。
失敗して、数万人の社員を路頭に迷わせることは、相当に怖れるべきことである。
野口先生自身はそれ以上詳しくはお話されなかったが、その後、自分なりに色々考えた。
要は、言葉の使い方が適切でないとの指摘ではないかと思った。
失敗を怖れない人というと、エジソンが思い浮かぶ。
しかしよく考えると、エジソンは「失敗を怖れなかった」とは言っていない。
「うまくいかない方法を発見しただけ」というような言葉である。
つまり、実験結果が思うようにいかなかっただけで、失敗という解釈はしていない。
また、こちらも私の尊敬する方の一人である原田隆史先生は、「危機管理の法則」として次のように述べている。
「プロは、悲観的に考え、万全の準備をし、楽観的に対応する。」
つまり、これも失敗を未然に防ぐという考え方である。
怖いものだからこそ、起きないように防ぐのである。
山登りを考えるとわかりやすい。
単に失敗を怖れずに準備不足のままチャレンジして失敗したら(つまり遭難したら)最悪である。
遭難を想定して、万全の準備をして、初めて「さあ、楽しむぞ!」となるのが正しい。
その時、失敗は避けようとしているが、挑戦や困難を怖れてはいない。
失敗は望ましくない。
しかし、挑戦は望ましい。
失敗は怖れるべき。
ただし、困難を怖れていては挑戦できない。
冒頭に戻るが、恐らく、一般的に言う
「失敗を怖れないことが大切」は、
「挑戦を怖れない」または「困難を怖れない」が適切なのではないかと考え直した次第である。
「失敗談」や「失敗学」が重宝するのも、失敗が怖いから、失敗をさせないようにするためである。
普段よかれと使っている言葉も、不適切な使い方のものがないか、再度見直してみたい。
2015年2月8日日曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
-
前号の続き。 教師にとっては、結構知っておくべき「大切」な事ではないかと思う。 (そして、教師以外の人々には本当にどーでもいい話題であるかもしれない。) 例の如く野口芳宏先生よりずばり。 「課題」は出されたもの。 「問題」は感じたもの。 つまり、教師から与えたものが「学習課題」。...
0 件のコメント:
コメントを投稿