2015年2月6日金曜日

教育の「動」と「静」

野口塾IN木更津での学びのシェア。
講師の横山験也先生の「卒業式の作法」の講座から。

横山験也先生は、現在さくら社という出版社の社長である。
クラウド上からダウンロードして使える算数ソフトも販売しており、私も何かと利用させていただいている。
https://store.sakura-sha.jp/
有り難いことに学年毎にダウンロードして使えるので、リーズナブルで便利である。

さて今回、特になるほどと思ったのが、教育には「静と動」があるということ。

「活動」という熟語が示す通り、「動」の教育は多い。
読む・書く・話す・計算に運動に演奏と、何かと活動することが多い。

一方で、動かない「静」の教育も表裏一体で存在する。
例えば「立腰」である。
腰骨を立て、良い姿勢を維持し、動かない。
卒業式で最も長い時間求められるのは、「静」の教育である。
姿勢を正し、祝辞等を粛々として聞く。
肉体的にも精神的にも自律と我慢が必要であり、教育があってこそ可能である。
(適切な指導をせずして臨めば、式は確実に乱れる。)

そのようなことを話されていて、なるほど目から鱗であった。

以下、私見。

動の教育は目立つので、もてはやされやすい。
活発に意見が飛び交う教室は良しとされやすい。

しかし、人の話をきちんと話を聞ける子どもは、より優秀である。
「聞く」は活動の一種ともいえるかもしれないが、どちらかというと「静」である。
他人の発言中は「静かに話を聞く」のが望ましい。
必要な時に、必要なことを話せばよい。
反応してすぐにべらべらしゃべるのは、考えていない証拠である。

30人いたら、全体の前で発言するのは「30分の1」の時間でいい。
残り「30分の29」の時間は、聞くのに徹する。
人の発言が終わるのを待つというようなことをはじめ、あらゆる我慢を教えるのも、「静」の教育である。

活発に意見が飛び交う教室もいいとは思う。
しかし私は、一部の子どもだけが反応よくしゃべっているより、ぼつぼつとでもよく思考した子どもの発言が大切にされる教室の方がいい。(それは一見、地味である。)
家庭や仲間同士の日常会話だって、よく話す人よりよく聞いてくれる人が多い方が成立する。
そう考えると、教室では、人の話をきちんと聞ける力の方をより育てたいと思う。

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