前号の「鬼の話」の続き。
ついでに、豆まきに関連して節分の意味も調べてしまう。
節分といえば一般的に二月の豆まきを連想するが、元々節分には4つある。
立春・立夏・立秋・立冬の4つの前日である。
要は、季節の分かれ目は全て節分である。
ただ、現今では立春と立冬のみを指すようになった。
また、俳句の季語として「節分」を用いる場合は、自動的に立春の節分の意味となる。
また、「せつぶん」と「せちぶん」の両方の読み方をする。(「おせち」と同じ読み方である。)
こんなことは、一般的に知っている必要はあまりない。
しかし教師にとって「学者」としての要素は大切である。
「豆まきをするのが節分」という子どもでも知っていそうなことを教えるだけでなく、一つ上のレベルに上げる。
そうすると、他の節分にも目がいく。
立夏は5月5日頃で子どもの日。
立秋は8月8日頃。夏至と秋分のちょうど中間である。
立冬は、11月8日頃で、やはり秋分と冬至の中間である。
(立冬だけぞろ目でないのが気になる。ここだけは11月11日では、都合が悪いようである。)
また、節分の前18日間が「土用」で年に4回あるが、やはりこちらも一般的には、鰻を食す夏の土用をさす。
・・・・というように、数珠つなぎに知識が広がる。
どれも、一般会話の中で出てきたら「どーでもいい」ことである。
多分、普通にこんな話をしたら「うざい人」である。
ただ、そんな広汎な知識があることが、「学者」を求められるこの職業の特殊性につながる。
そう考えると雑学も必要である。
「先生はなぜか色々なことを知っている」というのは、子どもが教師に一目置く要素の一つになり得る。
「教え導く」が仕事なのだから、当然求められる要素である。
この職業の場合、雑学も馬鹿にせずに身につけておきたい。
2015年2月23日月曜日
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