2014年1月16日木曜日

一人でできる力をつける

今回は、エッセイ。
思うところを書く。

目の前の事は、大切である。
しかしそれは、行く先を見た上でのこと。
どこに向かっているかわからずに進んでも、目標には近づけない。
方向を見定めた上で、足元を見ながら進む。

何のためにやっているのかを常に考える。

例えば算数の問題が解けない場合。
工夫してやり方を教えたり、一緒にやったり、仲間に教えてもらったりして、できたとする。
それで力がついたかというと、ついていない。
(一時的に「できた喜び」が味わえる意義はある。)

一人でできる力をつける。
問題解決において「自立」させる。
学力は、体力と同じで最終的に孤独の力である。
やり方を教わったら、あとは孤独に、黙々とひたすら磨く。

勉強も体力トレーニングも、その点で一緒である。
持久力をつけたかったら、走るのは本人。
学力をつけたかったら、反復練習するのは本人。
教師ができることは、そのための励ましをするまでである。
ものすごい学力をつけられる名物教師のような人は、教え方のうまさだけでなく、このフォローがすごい。
授業後にも追究する姿勢自体を身に付けさせてしまうのが授業名人である。
その力は、一生使える力となる。

「正しいやり方」を教えるまでが、技能の伝達である「教」。
「やる気を起こさせ、継続させる」のが、励ます「育」。
アサガオに例えるなら、棒を立ててやる行為が「教」。
伸びる方向が定まる。
水をやる行為が「育」。
ただし、そこから育つかどうかはアサガオ自身にかかっている。
周りができることは、環境を整えるまでである。
人間も木と同じで、大きく太くなったら、後は勝手にどんどん育つ。

今している教育行為は、将来どんな効果をもたらすのか。
生きる力をつけさせるものになっているか。
自問してみる。

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