2019年2月3日日曜日

「どうしようもない」をどうにかする

働き方改革に関連して、快適な職場環境をどう作るのかという話。

メルマガを発行していたり外で話したりしている立場上、色々な方から相談を受ける。
中に「周りにどうしようもない人がいる」という愚痴を聞かされることが結構ある。

気持ちはわかる。
どうにもしようのないとしか思えない人はいる。
しかしそれは、そう思ってしまった時点で、自分もそう思われている可能性があるということを伝える。

なぜなのか。

どうしようもない、という相手がいる場合、それは自分にとって
「どうにも対応のしようがない」
ということである。
自分にはお手上げということである。

つまり突き詰めると、自分の能力が不足しているのである。
周りがそんな自分を「優れた人」「素晴らしい人」と評価することはない。

一方、その「どうしようもない」相手を
「どうにかしてしまう」人も必ず存在する。
処理能力が高いのである。

そこの人物と比較されてしまった場合、何と言い訳できるのか。
これが「あなたもどうしようもない人と同じ」と言われてしまう可能性のある所以である。

これは、担任から子ども相手でも当てはまるので、教える立場にある人は重々気を付けるべきことである。
子どもは、大抵どうにかしようがある。
ほとんどが、大人の側の対処能力の問題である。

人間関係の大抵は、自分でどうにか善処できる問題である。
(「解決」ではない。「善処」である。
ましにできる程度かもしれない。)
「自分は悪くない」と言ってしまいたい気持ちはわかる。
私もよくある。
しかし、それは、基本的に敗北宣言なのである。

例えば、会議が毎度長いとする。
確かに、それは司会が無能なのである。
確かに、それは原案が不備、つまり、提案者の能力不足なのである。
それは、間違いない。

しかしである。

その会議のメンバーに、自分も含まれているのではないか。
そこに対してものを言わないのは、自分ではないのか。
(原案にもの申すことを推奨しているのではない。
 会議中にやたらと噛みつくのは、全員の時間の浪費である。)

「自ら動け。さもなくば従え。」が原則である。
要は、会議が長い原因に対して、自分が何の手も打ってないから、いつになってもさっぱり変わらないのである。

満員電車に文句を言っている人たちと全く同じである。
その人も満員の原因の一つ(というより根本的要因)なのである。
そんなに嫌なら、電車に乗らない何らかの方法をとればいいのである。
それができないと言うのなら、満員の原因を作って申し訳ないが、黙って乗らせていただく。
単に愚痴を言っている間は、その他大勢と同じである。

主体性を育てることが大切だという。
それは、自分に都合のいい自己主張をする人間を育てることではない。

主人公を育てることである。
主人公は、ストーリー全体に深く関わる。
自らの問題として、困難に立ち向かう存在である。

厳しいことを書いてきたが、私自身も苦渋を舐めてきた経験が山ほどある。
変えたくても変えられない自分がいた。
環境に振り回されて、のたうち回る自分がいた。
場の力に抗えず、屈するしかない弱い自分もいた。
愚痴っても、慰めてくれるだけで誰も助けてはくれないし、何の解決にもならなかった。

働き方改革を求めるなら、組織や上司、同僚の問題をあげつらっても無駄である。
自分自身のライフスタイルに改革を起こす以外にない。
それが面倒なら、強い者、組織に従うべきである。

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