2019年2月11日月曜日

選択の納得感と肚落ち感

前号の、選択肢の話と関連。
選択肢のない状況のメリットと授業への応用。

人間は、選択肢の多さに幸福を感じる訳ではない。
自分が納得した、あるいは選んでいるという「感覚」だけが重要である。

どういうことか。

仕事が最もわかりやすい。
自分が本当にやりたくて選んだ仕事なのか。
条件等から、やむなく、仕方なく選んだ仕事なのか。

やりたい仕事であれば、かなりの労力も、大変だが苦にはならない。
そうでない場合、理不尽に感じることが増え、徒労感が増える。

たとえ後者であっても、やっている内に納得した場合、苦にならなくなる。

また、条件で絞った後に、なおたくさんの選択肢が残ってしまった場合、更に悩みは多くなる。
もしかしたら選んだものより他のものの方が、良かったのではないかと苦悩するからである。

逆に、自分で考え抜いた末に、選択肢がこれしかないというところであれば、嫌でも納得はできる。
それしかないからである。
やるしかない。
悩みようがない。

物質的豊かさが不幸を生むという矛盾の原理もこれである。
本来、物質的に豊かな方が、幸せなはずである。
しかし、もっと多くの物質的幸福があると思うと、欠乏感を引き起こす。

欲はエネルギーにもなるが、これは果てしなく、終わりがない。
「足るを知る」が幸福感の要点といわれる所以である。
腹の底から納得している、ということである。

なお、本当はもっと別のものが欲しいけど我慢しているのは、幸福感につながらない。
それは、欲に囚われた状態である。

授業でもこれは応用できる。
つまり、やることが明確かどうかである。
これをやる、とわかっていれば、集中できる。
一方、やることが曖昧であれば、当然思考は拡散する。

自由がいいというのは、この拡散的思考を求める場合である。
何かの知識や技能を身に付ける場合は、集中力の方が圧倒的に大切である。

つまり、授業で明確に教える内容がある場合、
納得してやるべきことに集中している
という状態が作れればベストである。

試験前などは、誰でも自然とこの状態になりやすくなる。
勉強しないで遊ぼうという選択肢がなくなる。
実際は、遊びに行くこともできるのにも関わらずである。

日常的に勉強や練習等を続けられる子どもは、この納得感を自分の中にもっている。
自分が放課後に毎日数時間の鍛練をするのは、当然だと思っている。

なぜなら、そこには目標が明確に存在するからである。
なりたい自分が存在するからである。
世のため、人のために役に立つ自分になりたい、という他者貢献をもつ子どもすらいる。

そのためには、他に選択肢がないのである。
それが、幸福感、あるいは充実感の要因である。

選択肢自体は、少なくてもいい。
自分で選んでいるという、納得感、肚落ち感。
ここを感じられるようにすることが、学級経営の要点にもなる。

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